はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

懲りない日本人

2009-08-30 18:58:49 | はがき随筆
 昔「進め一億火の玉だ」と鉄砲担いだ日本人。戦争に負けると「負けると思ったよ。勝つはずないよ」と知らぬ顔。
 日米安保条約に反対しゲバ棒を振り回した学生が輸出企業の部長さんになり「アメリカだアメリカだ」ともろ手を上げた。
 近ごろでは以前、年金を書き換えた人は姿を隠し、政府に向かって「さあ、どうするどうする」。郵政民営化で旗を振った多くの人が「やっぱりだめだ。やり直せ」とのたまう。
 いったいこの島の人はどうしたんだろう。選挙が終わったら何をする気だろう。もぐらたたきでもおっぱじめるのかな?
  鹿児島市 高野幸祐(76) 2009/8/31 毎日新聞鹿児島版掲載





ドロップの味

2009-08-30 18:46:52 | 女の気持ち/男の気持ち
 フィリピンのダバオ市ミンタルで生まれた。目が覚めると山の中の横穴だった。その日から昼は山の中に身を潜め、夜行動した。多くの日本人たちの中に両親と11歳、9歳、7歳の姉、5歳の兄、そして3歳の私がいた。
 ある夜、やっとたどり着いた川のほとりで一休みしていた時、ダッダッダッ……と速射砲の音。同時に母の悲鳴が。太ももに弾のかけらが剌さったのだ。麻酔もかけず、父が護身用のナイフで金属のかけらを取り出したという。
 お日様が昇るまでに川を渡らなければ命が危ない。動けない母は、手のかかる私と自分を残して前に進むよう父に懇願したらしい。無言のまま父は5人で川を渡り、長姉と2人引き返してきて父が母を、姉が私を背に再度川を渡り、やっと山の中にたどり着いたのだった。
 移動が難しい私たちは数日後、その場所で一緒にいた数家族の人たちとアメリカ兵に見つかり、捕虜となった。
 若いアメリカ兵に抱きかかえられた時、私は栄養失調で頭髪が半分以上抜け、泣く力もなかったらしい。
 その時、一粒の甘いものが□に入れられた。それがドロップだった。
 何ともいえなかったあの味とともに、私たち家族の終戦は訪れた。
 今もドロップを口に入れると、かすかな記憶と姉から聞かされてきた苦難の日々が思われる。
  山□県美祢市 矢田部トモ子・68歳 2009/8/30 の気持ち掲載