はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「逆境の赤い線」

2009-11-05 15:47:08 | 岩国エッセイサロンより
    岩国市  岩国エッセイサロン会員   沖 義照

 台風の接近で秋というのに天の低い昼下がり、久しく見向きもしなかった古い文庫本のなかから1冊を取り出した。見開きに万年筆で購入日が書いてある。21歳のとき買ったものだ。

 めくっていくと、最後のぺージに赤い線が引いてある。「傷ついても、之が神から与えられた杯ならばのみほさなければならない」というくだりである。失恋という逆境こそが、より強く生きることができる原動力だとうたった武者小路実篤の『友情』である。

 私が逆境でもがいていたときに読んだ本なのだろう。赤い線が、左に右に大きく揺れ動いている。
 (2009.11.05 毎日新聞「はがき随筆・特集『実』」掲載)

随筆にチャレンジ

2009-11-05 12:33:57 | はがき随筆
 昨年から随筆を書き始めた。
 きっかけの一つは、退職して七十過ぎても元気な方がいる。聞けば案の定、趣味やスポーツに熱中しているとのこと。私ものん気に暮らしているわけではないが、何かしなければと思うようになっていた。
 二つ目は、最近、老いや死を意識するようになった。いつ死ぬか分からない人生を、生きた証しとして記録に残しておきたい。
 そんな衝動に駆られ、随筆つづり「今を生きる」を作り始めた。「葉隠」の「好きなことをして暮らせばよい」を心に留めながら、書き続けていきたい。
  日置市 高橋宏明(66) 2009/11/5 毎日新聞鹿児島版掲載

せめて母の味を

2009-11-05 12:25:20 | はがき随筆
 栗の渋皮煮を作った。とにかく肩の凝る作業である。3時聞かけて皮をむき、丁寧に渋を抜く。今年はやめておこうと、なるべく栗を見ないようにしていたのだが、息子から「食べたい」と所望されたのだ。
 遠方で独り暮らしを始めて3年。たまに食事の献立を尋ねると、わが家の食卓より立派なご馳走で噴きだしそうになる。唯一の趣味がお料理だと答える。手作りおやつにこだわった私に、小学生の息子は「今日はこれ作っててね」と毎日リクエストしたものだ。
 意に反して私立高校へ進学した息子は「高校を辞めたい」と言い出した。なだめすかし、起こそうとして罵声を浴びた。母の意地とばかりに無理やり抱え、突き飛ばされて青あざを作ったことも。そのうち遊び始め、出かけようとするバイクの前に立ちはだかったりもした。帰宅も遅くなり、夜中に無言で息子の食事の相手をした。どんなにケンカしていても、食事だけは必ず黙って食してくれた。
 もう限界と姉に泣きついた時、姉は「生きてさえいれば、必ず何とかなる」と言ってくれた。その言葉を胸に抱きながら「今日眠ればまた明日がやって来る」と自分に言い聞かせた。荒れた気持ちに寄り添えず、息子を責め続けた日々。
 ようやく夢に向かって歩き出した息子。大人になった息子に何も言うことはない。せめて母の味を届けてやりたい。心の中で「頑張てね」とエールを送る。
福岡県大刀洗町
 白石 睦月・47歳 2009/11/5 毎日新聞の気持ち欄掲載