川に魅せられ、川をたずね、ついに私は大淀川の源流にたどり着いた。8月18日である。
時に、川は人に似ている。
川内川の水源は石が多く、荒涼として何かを訴えるようだった。球磨川の源は、ツガや下草が繋る豊かな表情をし、大淀川の源流は、穏やかで優しい。
ところが、私は川に少しも似ていない。川は何事にも執着せず流れ行く先を知っているが、私は何にでも執着し、行く先を知らない。川は多くの生物を潤すが、私は私の思わぬところで人を傷つけながら生きている。
私に川の名をつけたら「飢餓の川」が、ぴったりか。
出水市 小村忍(66) 2009/11//14 毎日新聞鹿児島版掲載
時に、川は人に似ている。
川内川の水源は石が多く、荒涼として何かを訴えるようだった。球磨川の源は、ツガや下草が繋る豊かな表情をし、大淀川の源流は、穏やかで優しい。
ところが、私は川に少しも似ていない。川は何事にも執着せず流れ行く先を知っているが、私は何にでも執着し、行く先を知らない。川は多くの生物を潤すが、私は私の思わぬところで人を傷つけながら生きている。
私に川の名をつけたら「飢餓の川」が、ぴったりか。
出水市 小村忍(66) 2009/11//14 毎日新聞鹿児島版掲載