あの頃は、上品な〝お受験〟という言葉はなかった。頭がよかろうが、スポーツ万能であろうが、地域の中学校に行くのが、当たり前のことだった。
我らは還暦。同窓会があった。今も昔も立派な名門校。卒業したら、どこの学校の門に入るのか迷うから迷門(めいもん)校。なぜかこの話題で盛り上がった。(今回で最後かも)。転校してここを卒業していないが……など各々の事情を抱えながらも多くの参加があった。
送られてきたフォトブックには、今も残る校門の写真があり名門校を卒業した元青年や乙女の笑顔が満載だった。
宮崎市 津曲久美(60) 2019/3/6 毎日新聞鹿児島版掲載
我らは還暦。同窓会があった。今も昔も立派な名門校。卒業したら、どこの学校の門に入るのか迷うから迷門(めいもん)校。なぜかこの話題で盛り上がった。(今回で最後かも)。転校してここを卒業していないが……など各々の事情を抱えながらも多くの参加があった。
送られてきたフォトブックには、今も残る校門の写真があり名門校を卒業した元青年や乙女の笑顔が満載だった。
宮崎市 津曲久美(60) 2019/3/6 毎日新聞鹿児島版掲載
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます