故郷のコスモスを見た帰りに母校を訪ねた。小学校の校庭に大きなクスノキがある。米国の政治家で後に副大統領となったブライアンが1905年に植樹したものだ。
村の青年が米国の氏の家で5年間お世話になり、彼を育てた両親と村を見たいと、船旅の途中、立ち寄った。2人は終生、日米親善に尽くしている。
昭和20年、私が小学2年の夏、空襲で校舎は全焼し、皮肉にも日米樹は焼け落ちた。まもなく根から芽が出て、立派な樹木に成長している。母校は2年後の閉校が決まり、卒業生で記念誌の発行に取り組んでいる。
鹿児島市 田中健一郎 2016/1/5 毎日鹿児島版掲載
村の青年が米国の氏の家で5年間お世話になり、彼を育てた両親と村を見たいと、船旅の途中、立ち寄った。2人は終生、日米親善に尽くしている。
昭和20年、私が小学2年の夏、空襲で校舎は全焼し、皮肉にも日米樹は焼け落ちた。まもなく根から芽が出て、立派な樹木に成長している。母校は2年後の閉校が決まり、卒業生で記念誌の発行に取り組んでいる。
鹿児島市 田中健一郎 2016/1/5 毎日鹿児島版掲載
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