はがき随筆・鹿児島

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「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

生きれるだけ生きてみよう

2015-05-19 06:40:46 | はがき随筆
 玄関を開けたら90歳のノリちゃんが、友だちと話している様子もなく黙って座っていた。
 「ノリちゃんコンニチハ」と声をかけると、ニコニコして「ありがとう」と笑ってくれた。
 大切な夫も先に逝き、ホームに慣れて楽しそうな顔をしている。「ここがいい」と言った。
 「生きれるだけ生きてみよう、お金が足りるかしら?」とノリちゃんがつぶやいた。
 その一言が私の心に強く響いた。ノリちゃんに長生きしてもらいたいと思った。ノリちゃんとは偶然の出会いで、先月から友達になった仲である。
  札幌市 古井みきえ 2015/5/19 毎日新聞鹿児島版掲載

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4 コメント

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生きれるだけ生きてみよう (hitareri)
2015-05-21 12:02:50
みきえさん
お久しぶりです。
3回目の記事掲載 おめでとうございます。

「生きられるだけ生きてみよう」
いいです。この記事。

何より
今の私に ぴったりの記事です。

昨日 田舎から帰って来ました。
今回は 父の葬儀も済ませて・・・。

父は95才の天寿を全うしました。

いつも
「自分は ここ(自宅)がいい~」と言っていた父。

ずっと家でした。
寝たきり状態の4月~最終の亡くなる5月15日も
(在宅介護スステム等もフル活用し)
すべて家での、介護・治療・往診で・・
妹と私、家族に囲まれての生活でした。

そして希望通り
「ここ(家)で 家族に囲まれて 天寿を全う」しました。

父は20~26才に兵隊として戦争に行き
「辛く苦しい時代」を体験しています。

奇跡的に生きて帰れた体験からか・・

「生きられるだけ生きよう」

の気持ちが 何よりも強かった父。

寝たきりになっても、
最後まで生きるためにベットの上で戦っていた父です。
治療や点滴、食事をとることにも
弱音を吐かず頑張ってました。

「生きられるだけ生きた父」でした。

父だけでなく 戦争時代を体験した人は

みきえさんの記事の「ノリちゃん」という方も

「せっかく 
  親からもらった大切な命・・
     多くの人に支えられ、
         幾多の運命をかいくぐってきた命」

「今 命があるありがたさ、幸運さ」が

誰よりわかり・・何より感謝できる。

そして・・
「生きられるだけ 生きてみよう」

と 爽やかに言われ

その言葉で 

周囲も 爽やかになるのではないでしょうか? 
                   
                  ー合掌ー



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妙好人 (広島県 田丸)
2015-05-19 10:12:04
 先頃、温泉津の浅原才市さんに会いに行きました。正座して、柔和なお顔には、二本の角が生えています。本人の願いで肖像画に描き足したものを、像にしたそうですが、これこそ自分だと満足されたそうです。
 「生きれるだけ 生きてみよう」「ここがいい」声かけに「ありがとう」と応える様子や、言葉からは、妙好人浅原才市と同じ匂いがします。
 私も何時か、そういった境地に入れることを願います。
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Unknown (kumikomama)
2015-05-19 08:16:30
おはようございます。そして、おめでとうございます。

人生の達人に出会えたような「ノリちゃん」との会話~

『生きれるだけ生きてみよう』~・・・

90歳になっても、尚迷いの残る味のある言葉ですね~
「66歳~今日も生きている事に感謝、生きていればそれだけでいいよ~」と団塊の世代は日々戦っています

90歳の「ノリちゃん」は、あの忌わしい戦争をも潜り抜けてこられたのですね~

とっても素晴らしいお言葉を教えて頂いたような気がします。
心根の優しい「みきえ」様のお顔が女神さまみたいに、輝いて見えます。~♡

kumiko今日も、頑張る!!「ファイト~ッ」
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先生 (コメンツのイケメン)
2015-05-19 07:29:37
ノリちゃんは戦前、鹿児島市で幼稚園の先生をされてたと聞きました。


あの語り口、優しい瞳、笑顔から想像するに、園児たちから慕われるステキな先生だったんだろうなぁ・・と思います。


自分の人生を振り返りながら、自分なりの哲学でポツリと言われるから感動します。


それをポツリと随筆に書かれる古井みきえさんも人生の先生に思えます。

3回目の新聞掲載おめでとうございます。




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