車のコンソールボックスに厚手のタオルを3枚たたんで置いている。妙に安心するのだ。
昭和30年、5人兄弟の3番目、10歳の私は風呂当番だった。長兄は大学生で不在、次兄は水俣高校の汽車通生で父も帰宅が遅い。病弱の母の言いつけで夕食の材料を買ってくると、弟たちと共に風呂を沸かす。ポンプを突きバケツで運び五右衛門風呂に水を張る。製材所からリヤカーで運んだ背板をたく。
薄い日本手拭いと小さくなったせっけん。だが、風呂はポカポカだった。今も大切に使う500円玉のようなせっけん。だがタオルは厚手が好きである。
出水市 中島征士 2016/4/26 毎日新聞鹿児島版掲載
昭和30年、5人兄弟の3番目、10歳の私は風呂当番だった。長兄は大学生で不在、次兄は水俣高校の汽車通生で父も帰宅が遅い。病弱の母の言いつけで夕食の材料を買ってくると、弟たちと共に風呂を沸かす。ポンプを突きバケツで運び五右衛門風呂に水を張る。製材所からリヤカーで運んだ背板をたく。
薄い日本手拭いと小さくなったせっけん。だが、風呂はポカポカだった。今も大切に使う500円玉のようなせっけん。だがタオルは厚手が好きである。
出水市 中島征士 2016/4/26 毎日新聞鹿児島版掲載
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