中学の同期会で旧友が「学校の昼食時間が一番つらかった」と語った。彼は兄弟が多く、弁当を持たせてもらえず、朝食時間には小学校の裏山に逃れていたという。
戦後誰もがひもじい思いをした。当時なんとか命をつないだのはサツマイモのお陰であり、私はおイモさんと呼んでいる。
小学校では豚を飼っており、豚の当番は楽しみだった。イモをふかして豚に与えたが、私たちは先生の目を盗んで、イモをむさぼるようにして食べた。
昭和23年に学校給食が始まった。脱脂粉乳とおイモさんの味は忘れることはできない。
鹿児島市 田中健一郎 2012/8/29 毎日新聞鹿児島版掲載
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