一段低い理科の実験教室のガラス窓の上部を、何組もの足が右、左に通り過ぎて行く。ある季節になると、地方競馬跡の中学校のグラウンド脇に、多くの観光バスが駐車した。校舎横が、景勝地の海岸に出る道になっていた。井戸が掘ってあった。夏はキャンプ場があった。松林の丘の中にそんな広場があった。小学校の裏から登る径もあった。そこで小学校の相撲大会があった。白いさらしのまわしが躍動した時代の記憶がよみがえる。半世紀たった今は、車がひっきりなしに縦断する。そこは町誌に残る御蔵跡。もう跡形もない。
いちき串木野市 新川宣史 2014/8/19 毎日新聞鹿児島版掲載
いちき串木野市 新川宣史 2014/8/19 毎日新聞鹿児島版掲載
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