昭和22年に結ばれた私ども。翌23年思いも寄らぬ公職追放で職場離脱、イバラの再出発となった。
平穏に消光していたが40年目の昭和63年、妻は61歳で倒れ右半身を失った。
16年間在宅で介護したが、限界を感じ心ならずも介護施設に頼んだ。以来、施設で味気ない寝起きをしている。
去る3月、各所に散らばる孫たちも皆帰って、労苦をねぎらう結婚60年の祝いをしてくれた。家族全員で妻を迎えに行き、左右を抱えて久しぶりの会食。無感動の妻も余程身にしみるのか涙する。その姿に皆も涙、涙。そして起こる歓声。感謝の歓声であった。
鹿屋市 森園愛吉(86) 2007/7/12 毎日新聞鹿児島版掲載
平穏に消光していたが40年目の昭和63年、妻は61歳で倒れ右半身を失った。
16年間在宅で介護したが、限界を感じ心ならずも介護施設に頼んだ。以来、施設で味気ない寝起きをしている。
去る3月、各所に散らばる孫たちも皆帰って、労苦をねぎらう結婚60年の祝いをしてくれた。家族全員で妻を迎えに行き、左右を抱えて久しぶりの会食。無感動の妻も余程身にしみるのか涙する。その姿に皆も涙、涙。そして起こる歓声。感謝の歓声であった。
鹿屋市 森園愛吉(86) 2007/7/12 毎日新聞鹿児島版掲載
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