妹の連れ合いが66歳で逝った。焼酎が好きだった。
仲間同士で飲むときは特に楽しそうであった。思いやりのある優しい顔が浮かぶ。娘2人孫4人の幸せな家庭でった。人が生まれ逝くまでには紆余曲折だったのかもしれない。死を受け入れていない妹が「120点満点の夫だった」とポツリ。妹をふびんだとおもっていたが、その一言が全てを打ち消してくれた。幸せは本人が決めることと改めて感じた瞬間であった。
精霊船を妹家族と一緒に流した。妹の目は精霊船が見えなくなるまで見つめ続け、夫に語りかけるように潤んでいた。
出水市 古井みきえ 2016/9/26 毎日新聞鹿児島版掲載
仲間同士で飲むときは特に楽しそうであった。思いやりのある優しい顔が浮かぶ。娘2人孫4人の幸せな家庭でった。人が生まれ逝くまでには紆余曲折だったのかもしれない。死を受け入れていない妹が「120点満点の夫だった」とポツリ。妹をふびんだとおもっていたが、その一言が全てを打ち消してくれた。幸せは本人が決めることと改めて感じた瞬間であった。
精霊船を妹家族と一緒に流した。妹の目は精霊船が見えなくなるまで見つめ続け、夫に語りかけるように潤んでいた。
出水市 古井みきえ 2016/9/26 毎日新聞鹿児島版掲載
お元気そうですね・・
妹さんを、そっと支えてあげておられるのですね。
目に浮かぶようです
先日、義母のお見舞いで帰った郷里の温泉宿で
姉妹で湯治している女性に出会いました。
年とると実の姉妹は、屈託なくていい旅・時間なのでしょう。とてもいい時間をすごしているようでした。
このコメントのURLにその記事入れておきます。
また、感想などもよかったらいれてください。
米ノ津川が精霊流しで埋め尽くされほどでした。
お坊様方が乗られた精霊舟では、読
経が流れ、提灯に果物やお菓子で満杯でした。
同時に花火大会や盆踊り夜店も沢山
出て北薩の一大イベントでした。
今は、主催者側の商店街の後継者も
少なくなり開催が難しくなってしまい極
楽浄土を思わせるような華やかな精霊
流しもなくなってしまいました。
古井さんたちは高尾野川の下流の鶴
の羽数を数える中学生で有名な荘中
学校の近くで静かに家族だけで流され
たとお聞きしました。
その模様を見事なタッチで表現された
随筆に感銘しました。
盆踊りは子供中心になって、踊りの曲目が昔とは大変異なったものになっています。昔ながらの伝統的な曲目は録音テープで、肉声で歌える人が少なく、調子も記憶に残っているものとは違っています。太鼓も破れ太鼓で胴に割れ目が入り、音の響きが気になります。
灯籠流しは、夏の大潮の晩、地域の川に流します。引き潮に乗って河口へ向かってゆっくりと流れていきます。
構造は三十センチ程度の四角の板に、竹ひごを四隅に立て、色紙で四方を囲み、中心に置かれたローソクの火が消えないようにしたものです。その中に供物も入れます。凡そ舟とは言えませんが、霊を送る厳粛な気持ちになっていました。
有名なのは、太田川の灯籠流しです。原子爆弾で亡くなられた人々の霊を慰めるため、無数の灯籠が流されます。
広島の特徴的なお盆の風習としては、お墓の周りに立てる竹灯籠です。浄土真宗安芸門徒だけだと聞いています。初盆を迎えるお宅の墓所には白い灯籠が沢山立ち並びます。そうでない墓所は色紙が張ってあるもので、お盆の間、線香のかおりと相まって、墓所が明るくにぎにぎしくなります。
身近な人がなくなると、精神的にも身体的にも大変です。頑張ってください。
朝は四時ごろ起床だから・・・・。
もう起きてるでしょう?
お互いに、完全な「老人」ですね(笑)。
長島や大川内のJAで造られた味噌ありがとうございました。
ドンドン北海道へも送られて・・・。
今は、知り合いの落ちたボンタンを拾って歩いて・・ボンタン漬けされてるそうですねぇ。
北海道ではニシンを釣ったり、コンブを採ったり・・・。
みきえさんの真似は出来ません。
八代の花火大会では、宮崎や霧島市から来られた、御婦人方と・・すぐ友達になって、住所交換までされて・・・。
みきえさんみたいに、屈託のない笑顔だったら世界中に友達が出来るなあ・・と実感しました。
さすがに、ニセコであった、NHKのど自慢で「熱演賞」を取られるだけの人間の魅力がありますね。
みきえさんが居ると、まわりに花が咲いたように楽しくなります。
過日ナマ放送された「お田植え祭」のラジオでの受け答えがプロ並みでしたぁ・・凄かったです。
これからもヨロシクです。