「人間は、自分の力ではなくあらゆるもののお陰で生かされている」。これは幼いときからの我が家の教育であった。
だから、作物などができたときも「お陰さまで」といって仏壇に供え、他人から物を頂いても、まず、仏壇に供えてからいただくのがならわしであった。
作家の五木寛之氏が「親鸞」とか「他力」などの本を著しているが、彼の作品の根底にあるのも、このように、自分の力ではなく、他のあらゆるはたらきによって生かされていることを教えているのではないか。
こうした思想が「他力」というのではないかと考える。
志布志市 一木法明 2011/11/4 毎日新聞鹿児島版掲載
だから、作物などができたときも「お陰さまで」といって仏壇に供え、他人から物を頂いても、まず、仏壇に供えてからいただくのがならわしであった。
作家の五木寛之氏が「親鸞」とか「他力」などの本を著しているが、彼の作品の根底にあるのも、このように、自分の力ではなく、他のあらゆるはたらきによって生かされていることを教えているのではないか。
こうした思想が「他力」というのではないかと考える。
志布志市 一木法明 2011/11/4 毎日新聞鹿児島版掲載
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