実りの秋、刈り取った稲は架け干しにかけ、天日乾燥していた。それが終わると稲を家まで背負って運び脱穀していた。
学校からモドイモドイ稲運びの手伝いをよくした。小さな背中に稲をうずたかく積み上げて運ぶ母の後ろ姿を見ながら、僕も稲を運んだ。途中疲れたので何度も「イットッ ヨクイガ」と言うと、母ちゃんが「ヨクテ バッカイデ イッチョン シゴチナラン」と気合を入れていた。僕の記憶の中には「よく働いていた母の姿」しかない。当時は米の収穫が少なくカライモご飯が主食だったが、よくあんなに元気があったものである。
さつま町 小向井一成 2013/10/19 毎日新聞鹿児島版掲載
学校からモドイモドイ稲運びの手伝いをよくした。小さな背中に稲をうずたかく積み上げて運ぶ母の後ろ姿を見ながら、僕も稲を運んだ。途中疲れたので何度も「イットッ ヨクイガ」と言うと、母ちゃんが「ヨクテ バッカイデ イッチョン シゴチナラン」と気合を入れていた。僕の記憶の中には「よく働いていた母の姿」しかない。当時は米の収穫が少なくカライモご飯が主食だったが、よくあんなに元気があったものである。
さつま町 小向井一成 2013/10/19 毎日新聞鹿児島版掲載
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