終戦の翌年、母と弟と一緒に父の墓参りに行った。途中、列車の中でやせ細った母親と男の子2人に出会った。当時私は小学3年生。男の子たちは私より年下だった。
母は親子に話し掛けると、持参したおにぎりを全部差し出した。私が不服そうな顔をすると「外地から引き揚げて、おなかをすかされている。一食ぐらい我慢しなさい」と私を叱った。
藤原ていさんは、「流れる星は生きている」の中で、僅かな食べ物を探してさまよった苦難の旅を描いた。あの親子におにぎりを与えた、母の優しさを懐かしく思い出している。
田中健一郎 鹿児島市 2013/6/21 毎日新聞鹿児島版掲載
母は親子に話し掛けると、持参したおにぎりを全部差し出した。私が不服そうな顔をすると「外地から引き揚げて、おなかをすかされている。一食ぐらい我慢しなさい」と私を叱った。
藤原ていさんは、「流れる星は生きている」の中で、僅かな食べ物を探してさまよった苦難の旅を描いた。あの親子におにぎりを与えた、母の優しさを懐かしく思い出している。
田中健一郎 鹿児島市 2013/6/21 毎日新聞鹿児島版掲載
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