はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

感慨無量

2011-05-03 12:57:25 | はがき随筆
 東日本大震災の翌日、東京の4歳の孫息子からメールが着信した。
 「じいちゃん、ばあちゃん、このまえ、なにかくれたね、ありがとう。じいちゃん、ばあちゃんにあいたいです」
 地震の時はママと一緒に逃げた。恐怖のあまり祖父母を思いついたのか。かな書きのメールに孫の心が素直に伝わった。4歳の孫がメール。感慨無量。かな文字は優しく柔らかく温かさを感じる。覚えたとのかな文字メールの心遣いは何ものにも替えがたい。余震も連日続くが、無事に元気でいてほしいと励ましのメールを送る。
  姶良市 堀美代子 2011/5/1 毎日新聞鹿児島版掲載

問屋ソロバン

2011-05-03 12:51:57 | はがき随筆
 遠くの岡から、いわし雲が広がってきた。団地の文房具店で原稿用紙を1冊買う。
 「この団地が出来たころは子どもが多くてね。ノートや鉛筆がよく売れたんですけど、今は便せんの方が売れるんですよ」
 店の女主人が言った。店内を見回すと小ぎれいに整頓されていて、レジの隅から古びたソロバンがのぞいていた。当時から半世紀たっているにの、よく持ちこたえたものだ。
 そう思うと、女主人のつつましい暮らしがしのばれて、私は胸の内がホッと温かくなった。帰りしなに大福餅を三つ買って帰る。
 鹿児島市 高野幸祐 2011/5/1 毎日新聞鹿児島版掲載

のびる

2011-05-03 12:45:10 | はがき随筆
 「裏庭で取ったのびるだ。夕方食べよう」と妻に言う。
 「うーん」。返事は重い。
 のびるは緑の長い茎と白い地下茎まで皮が薄くむきやすい。しなやかなのびるを湯がき、昆布巻きのようにしめると出来上がり。キビナゴと竹の子の刺身が食卓に色を添える。たれは自家製の酢みそ。瑞々しいのびるを口にほおばると、ネギに似た匂いが鼻を突く。懐かしい味に戦中戦後、食べられる野菜を教えてくれた両親の顔が浮かび、胸を熱くする。
 妻は食べたことがないので遠慮すると言う。お陰で焼酎と食欲が増した夕餉になった。
  出水市 清田文雄 2011/5/1 毎日新聞鹿児島版掲載

娘と相生して

2011-05-03 12:38:36 | はがき随筆
 「え~、太陽の黒点4000度、太陽は6000度、おもしろい」
 中学3年生の理科の問題を解く。
 「えっ、母ちゃん、宇宙人なのに知らなかったの? そうだ、太陽は熱すぎて暮らせなかったんだね」と、14歳の娘はカラカラと笑う。
 「うん、まあね」と、私もニタリ。
 「地球に来て、お父ちゃんを好きになって元の星に帰れなくなったんだね」
 「ムフフ、そうなんだよね」
 玉響の人生を娘と相生して生きていると強く感じている。
  鹿児島市 萩原裕子 2011/4/30 毎日新聞鹿児島版掲載

心に残る惜別

2011-05-03 12:31:40 | はがき随筆
 3月花冷えのたそがれ時、ぺん友Yさんの娘さんより電話。「父が今日5時30分に亡くなりました」の声に思考が止まる。3日前に突然みえられ「アイスクリームを買ってきます」に驚き、妻と3人で美味しく頂く。その後ご自分のエッセーの載った本をわけて頂く。プロ感覚の文章内容に感動が残る。雑談され、いつものように飄然と「また来ます」。今思うとあれが最期のお別れだ。中国のことわざ「今日感会、今日臨終」の厳しい惜別に。今は大好きな古里熊本の持ち山上空をご夫妻で千の風になられ。無限の時空を仲良く過ごされているだろう。
  鹿屋市 小幡晋一郎 2011/4/29 毎日新聞鹿児島版掲載

老いざる薬

2011-05-03 12:23:47 | ペン&ぺん
 9万6567人。鹿児島県内で独り暮らしする65歳以上の数だ。6年ほど前のデータで、今は人数も変わっていよう。
 1年経過すれば、人は皆365日分、齢(よわい)を重ねる。
   ◇
 老いを避けたい。そう願うのは、アンチ・エージングが叫ばれる昨今だけの話ではない。
 秦の始皇帝の時代。不老不死の霊薬を求め、若い男女3000人を率いて、船出した伝説上の人物がいる。徐福、またの名を徐市。日本各地に、老いざる薬を求めて徐福が来たとの伝承が残る。
 その一つが、いちき串木野市にある。旧市来町は、徐市が来た場所から名付けられたとの説がある。徐福は山に登り、景観を絶賛し冠を山頂で脱いだ。その山を以後、冠岳と呼ぶ。徐福が、紫のひもを留め置いた山を紫尾山と称する。そんな由来も伝えられている。(「鹿児島大百科事典」など参照)
 だが「市来町郷土誌」によれば、市来の名が公的資料に登場するのは鎌倉時代。余りに年月がずれている。むろん、かつて鹿児島の地に老いざる薬があり、徐福が持ち帰ったとの記録はない。
   ◇
 「お薬を出します。物忘れがひどくならぬよう進行を抑える薬です」
 そう医師は言った。独り暮らしの母を診察に連れて行った時のことだ。
 机の上。パソコン画面に頭部を撮影したMRIの画像が映る。側頭部に脳の萎縮があるという。
 「お薬は1日1錠。2週間分です。それで副作用や物忘れの度合いなどをみていきます」
 同席した私は、もしもと思う。もしも、母の症状が老化に伴うものならば、老いを止めることはできない。できるのは老化の進度を、わずかに抑制することだけだろう。
   ◇
 薬は2週間分。その間14日分、老いは進む。徐福が求めた老いざる霊薬は今も、ここにはない。
 大海の東の果て。日いずる所に、願いを捧(ささ)ぐ輝きのごとく、だれもが求める薬は、あるのかもしれない。
 鹿児島支局長 馬原浩 2011/5/2 毎日新聞掲載