はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

「やっぱり春」

2011-05-07 14:36:50 | 岩国エッセイサロンより
2011年5月 7日 (土)
岩国市  会 員   山下 治子

更新の件と新型が出たとかで、なじみの保険屋さんがやってきた。お久しぶりねとあいさつを交わしながら、アレ、何だか以前と違う感じがした。「きれいになった?」と顔をのぞき込むと「お陰でやっとトンネルを抜けたんですよ」。

彼女は37歳でご主人に先立たれ、以来2人の子供を育てるのに必死だったと、初めて自身のことを語ってくれた。下の子も昨春落ち着き、ほんの少し気持ちに余裕が持てるようになったとも。

「早いですねえ。後5年で定年なんです」。彼女の中にほんのり漂う春めく香り。お疲れ様。これからは自分のために勧誘してね。

(2011.05.07 毎日新聞「はがき随筆」)岩國エッセイサロンより転載


不作と聞く旬なタケノコは重宝

2011-05-07 14:16:49 | 岩国エッセイサロンより
  岩国市   会 員  片山 清勝

 今年は各地でタケノコが記録的に不作だそうだ。岩国市内など有数の産地でも出荷は例年の1~3割にとどまっているという。昨夏から秋にかけての猛暑と小雨が原因とみられる。

 タケノコというと思い出す。三十数年前、小1だった息子が「お父さん、盗られている!」と大声で叫んだ。農道沿いに置いていた掘りたてのタケノコ数本がそっくりない。またやられたか。以前にも畑からダイコンや白菜、ジャガイモなど、盗られた回数は数えきれなかった。ただ量は1食分なのか、少なかったので、誰かが助かるなら、と寛容の精神で許していた。

 タケノコ盗みは今も多いと聞く。早朝4時ごろから車を乗り付けて盗るそうだ。子ども対象のタケノコ堀の行事で、現地に着いたらほとんど盗られていた、と世話人から聞いた。数本ならまだしも、全部盗るとは行きずりではない。

 先日、帰宅すると、重宝な旬のタケノコが玄関へ置かれていた。大きいうえに、ゆでる時使う米ぬかも添えてある。これで届けてくれた人が分かる。記念写真のあと妻に渡した。さて、どう変わるのだろうか、楽しみだ。

  (2011年05月07日 朝日新聞「声」掲載) 岩國エッセイサロンより転載

薫風

2011-05-05 22:43:32 | アカショウビンのつぶやき

バイカウツギ


カラタネオガタマ


ジャスミン

 狭い我が家の庭にも、香り立つ樹がいくつかある。
いま一番香りが強い「オガタマ」は、甘い薫りを庭中に漂わせ、「バイカウツギ」と「ジャスミン」は風に揺られながら、道行く人々に薫りを届けている。

我が家の「オガタマ」は、神社の境内に植えてある「オガタマノキ」とは、違うようで、「カラタネオガタマ」とか言うらしい。
バナナの香りといわれる甘い香りが、どこからともなく漂ってくるので、「この匂いは何?」と皆さんの注目の的。

小さな苗を植えて二年目の「バイカウツギ」は、私の背丈を超えるほどに大きくなったが、強いビル風をまともに受けるせいか、近づかないと気づかない。

一方、ジャスミンは、勝手に地下茎を延ばすので、少々厄介者扱いになってきた。

それぞれが己の薫りを放ちながら、みどりの日を迎えた。

被災地では、家を流された跡地に球根で眠っていた花々が咲き始めたと言う。
あのがれきの山にも、さわやかな五月の風が吹いているのだろうか。

あの日から、もうすぐ2ヶ月。何も解決しない状況に焦りを覚えるのは、当事者でない私たちも同様。ただ祈るばかりの毎日である。

by アカショウビン

大隅地区の勉強会です

2011-05-05 15:30:30 | アカショウビンのつぶやき


 年に2回計画している、大隅地区の勉強会。
 なかなか日程が決まらずとうとう5月にずれこんでしまいました。
地区運営員の竹之内さん、御世話役の伊地知さんが準備してくださり、5月8日開催となりました。

 毎回、講師を支局長にお願いし、合評会形式の勉強会が続いていましたが、今回は少し変えてみました。
 
 講師は地元の鹿屋市立図書館・館長の立石冨男さんです。
立石さんは、文芸誌「火山地帯」を主宰され、小説家としても活躍されています。なお図書館の「エッセイ講座」でも、毎年、講座生の指導をされています。

 今回の勉強会の内容は、エッセイを書くときの基本的な事項などをお話ししていただきます。その後、質問や懇談で楽しい仲間と交流のときをもち、昼食して終了です。

この勉強会は会員以外の方も大歓迎です。
今回も、肝付町から新しい仲間が加わってくださることになりました。

日時 5月8日 午前10時から午後1時まで
場所 北田町の食事処「この路」
講師 鹿屋市立図書館・館長 立石冨男先生

興味のある方、お待ちしています。
申し込みは6日までに竹之内さんにお願いします。
電話 0994-43-2434です。

by アカショウビン

娘とわたし

2011-05-05 15:17:57 | 女の気持ち/男の気持ち
 「むちゃだいすき」と抱きしめると、「アアちゃんダイスキ」とほっぺをくっつけてきた。中学生になると背丈が伸び、わたしを見おろして口答えした。こんな娘があれよあれよというまに医療技術短大を経て看護師になって10年がたつ。
 医療の世界も日進月歩。患者さんと向き合うかたわら勉強が欠かせない。夜勤もある。泊まりがけで帰ってくるのは年に1,2回だ。命を預かる大切な仕事に励んでいると思っているので不満はない。
 娘が帰れないならバス、船、バスを乗りついで会いに行くと電話したら、出張、夜勤と続き、時間が取れないと言う。あきらめた。3週間ぶりに救助された犬の話に移ったところで娘の声が明るくなる。ワンニャン好きの娘のうれしそうな顔が見える。
 「お祈り忘れずに。体大事に」と受話器を置きかけると「近いうち東日本大震災の被災地へ応援に行ってくるね」と言うではないか。会えない寂しさが吹っ飛んだ。
 被災された方々を思い、毎日祈っている。日常を奪われた方々を励ましたい思いがつのり詩を書く。義援金を振り込む。ほかにできることはないかと考え続けていたところだった。「あなた、心を尽くして母さんの分まで御世話してきてね」と思いを託した。
 いま、この先長い年月、苦難に立ち向かわなければならない方々に寄り添い、復興を願って祈り続けようと誓う。
  鹿児島県鹿屋市 伊地知咲子 2011/5/5 毎日新聞の気持ち欄掲載

ぐさり

2011-05-05 14:47:41 | はがき随筆
 「ねえねえ、神父様きいて」
 「話してごらん」
 「エジプトって不思議な国よ。両替に行ったら、だあれもいないの。お祈りに行っちゃったんですって」
 「偉いっ」
 「ん……どうして?」
 「お金より、神様を大切にしているから」
 「偉いっ。だから神父様、大好きなんだな」
 「あなた日本人か?」
 「私正直人」 
 ジョークでちゃかしたけれど気がつけば、お金を守護神のように仰いでいたわたしを、神父の言葉がぐさりと突き刺した。
  鹿屋市 伊地知咲子 2011/5/5 毎日新聞鹿児島版掲載

ちょっぴりの筍

2011-05-05 14:24:26 | はがき随筆


 今年は筍の出が悪い。夏の猛暑と冬の厳寒のせいだろう。いつもならもう十分に楽しんでいるころだ。
 見つけやすいように竹山の除草もした。底が薄くなった雨靴を履いて、踏みしめるように竹山の中を歩き回る。ちょっとでも芽が出ていると先のとがった部分が靴底に当たって分かる。また、朝露がほんのり芽に光っているか、少し土が盛り上がっているかで分かる。少し出ている筍を鍬で傷めないように掘った時はうれしい。夕食の食卓もちょっぴりにぎわう。
 明日もちょっぴりの筍を楽しもう。
 出水市 畠中大喜 2011/54 毎日新聞鹿児島版掲載

「遠くなりにけり」

2011-05-05 14:22:31 | ペン&ぺん
 時は昭和の初めごろ。場所はデパート山形屋。そのエレベーターガールに、たいそうな美人がおられたそうな。
 どのくらい美人かと言えば、旧制七高造士館のバンカラ学生たちの間で大いにウワサになるよな、ならぬよな。もちろん、当時の学生さんは皆、純なヤツ。見に行くだけで、声もかけられぬ。
 ところが、シャレを効かせて手を握ったツワモノがいた。
 彼は1階エレベーター前で待つこと、しばし。ほかに客がいないのを見計らい、ゲタを脱いで悠然と乗り込む。
 「あの、お客さま、お履き物は、そのままで結構でございます」
 「そんな、もったいなか」
 昇りゆく二人だけの空間。その中で、ぎこちない会話をかわす。最上階につくと、そっと20銭を差しだす。 
 「お客さま、無料でございます」
 「ただで乗っては男のメンツが立たん。受け取ってくだっせ」
 そう言って彼女の手を握ったとか。
 以上は室積光氏の小説「記念試合」に出てくるエピソードだ。かいつまんで引用したが、同書は七高生の気風や戦前昭和の世情などを伝えて興味深い。ぜひ一読あれ。
   ◇
 さて一昨年、同僚から聞いた話。ラジオ番組でアナウンサーが「昭和時代」と普通に語っていたという。明治時代、大正時代は呼び名として定着している。だが、昭和生まれの人間にとって昭和時代の呼び名は、何やら気恥ずかしい。あるいは昭和も江戸時代と一緒かと。
 連休期間中、はがき絵作家、小向井一成さん(さつま町在住)の原稿を入稿した。小向井さんも「昭和の時代」と、あえて「の」の字を入れて、原稿を書いている。
 とはいえ、気づけば平成も23年目。いやはや、もはや昭和はホント遠くなりにけり。
 鹿児島支局長 馬原浩 2011/5/4 毎日新聞掲載

わからなくて幸せ?

2011-05-03 13:47:36 | はがき随筆
 危篤の知らせにまだ明けきれぬ道を病院まで走った。89歳という年齢からして覚悟はしていた。苦しむことなく人生を終えた父の最期の姿に、私は素直に神様に感謝した。
 同時に母のことが頭に浮かんだ。母は父の死を理解できるだろうか? 理解してほしいという思いで、父が安置されている教会へ母を連れていった。しかし母は、安らかに眠る父の顔を見ても人ごとのようで悲しむ様子もない。居合わせた人たちも、わからないだろうという目で母をみている気がした。
 でも私は母を信じよう。だって六十数年連れ添った夫婦じゃない。ほんの数ヶ月前まで父に会っていたじゃない。思い出してよ!
 最期の別れをするために再度母を連れていった。でも、私がどんなに説明しても「ええ、死んだのねぇ」と言うだけで涙一つ見せない。母が父の死を理解できないという現実に涙がこぼれた。近所の方々は「お母さん、わからなくなって幸せだと思いますよ」と慰めてくだったけれど。
 母が暮らすホームを訪ねると、いつも屈託のない笑顔で迎えてくれる。そんな母の笑顔を見ているうち、私もやっと認知症という病気のおかげで母は悲しまずに済んだのだと思えるようになった。
 「父さん。今日も母さん元気だったよ」
 父の遺影に語りかける。
 「母さんを大事にしろよ」
 父の声が聞こえる。
  長崎県大村市 岩瀬五十鈴 2011/5/3 毎日新聞の気持ち欄掲載

無職が続く

2011-05-03 13:41:52 | はがき随筆
 今、無職の生活。1日をどう過ごすか。慣れぬ生活ゆえに戸惑う。正装して出掛けることもなく、ずーっと家にいる訳にもいかない。
 この1ヶ月間を振り返る。ウオーキング、日記、電子辞書、DVD、創作に1時間ほど運転して2時間ほどの除草。午前中集中してやっても、昼寝も伴っての時間の流れに過ぎない。生きがいをどう見つけ出していくのか。前向きの姿勢がおぼつきない。
 まず、喜寿までにどう生活するか、月間賞やうれしい事にどれほど出会えるのか。神社参拝や墓参りがどこまで続くやら。
  出水市 岩田昭治 2011/5/3 毎日新聞鹿児島版掲載

教えられました

2011-05-03 13:30:38 | 女の気持ち/男の気持ち
 昨年10月、スイスに住む娘が次男を出産しました。赤ちゃんが6カ月を過ぎた頃に帰国するとのことだったので、お祝いはその折にでもとそのままになっていました。
 ところが先日、スイス人の娘婿から「お祝いは大地震で被災された方たちのために役立ててほしい」と、娘を通じて連絡がありました。
 すでに彼は震災直後にスイスの赤十字社を経由して個人的に寄付をしていたので、さらなる今回の申し出は驚きでした。
 同じ日本に住みながら、直接被害をうけなかったがために、ややもするとこと未曾有の大災害を遠目で見がちな私たち。そんな自分を省みつつ、改めて助け合うこと、困難に遭った人を思いやる精神の大切さを教えられたような気がします。
 長い間に身にこびりついた島国根性のかたまりのような生き方を改めねばとの思いです。
 近々予定していた一家4人での帰国は、万が一でも放射能汚染の影響が幼子に及んではという懸念から、残念ながら延期になるようです。
 けれど近い将来、日本が元気で美しい国に復活したら必ず会えると信じて、楽しみに待つことにしました。
 国の内外を問わず大勢の人々の応援と思いを受け、一日も早い復興と、孫のすこやかな成長を願いながら、義援金を送らせていただくつもりです。
  北九州市 森田希和子 2011/5/2 毎日新聞の気持ち欄掲載

家庭の声

2011-05-03 13:23:55 | はがき随筆
 新年度早々いい話を聞いたので、さっそく家内に伝えることにした。まず、明るい家庭には「三つの声」があると聞いたけど、どんな声だと思う? そう尋ねてみた。あまりにも唐突な質問に家内はとまどっていた。
 実は「三つの声」の一つは「話し声」。次は「笑い声」。三つ目は「歌声」であったことを話した。すると、家内笑ってのたまわく、私にないのは「歌声」かな、という。歌謡番組はよく見るが、歌うのは不得手のようだ。でも、作詞家や作曲家については案外詳しい。住職である私が、つい口ずさむのは「ハレルヤ-ハレルヤ-」である。
  志布志市 一木法明 2011/5/2 毎日新聞鹿児島版掲載

背中を押した春

2011-05-03 13:13:48 | 女の気持ち/男の気持ち
 今年でもう30年にもなる。
 「ダメヤッタ」と、高校の合格発表を見てきた息子が言った。万が一の望みを絶たれた息子に「どうする?」と問うと「予備校に行く」という。
 慌てて電話帳をめくり、黒崎の大学受験校に電話した。中学生はテストの結果で受け入れるので明日がテストの日ですと言われ、即申し込んだ。
 結果の報告に学校へ行くという息子を、私の前に座らせて、母親としての思いを話した。落ちたことはつらいし、悲しいし、少しは恥ずかしい気持ちもあると思う。でも、世間様に後ろ指をさされるようなことをしたわけではないのだから、ご近所の方には今まで通りに、元気にきちんとあいさつすることを約束してほしい。私も今までと同じ元気母さんでいるからと。そうすることで私自身の背中を「強くあれ」と押したのだ。
 学校から戻ってきた息子の顔は、すっきりしていた。先生に予備校のテストのことを伝え、友達とも話ができてよかったと話してくれた。
 息子と2人、予備校の玄関に立った日のことを、春がくるたびに思い出し、胸の奥が痛くなる。
  福岡県飯塚市 村瀬朱美 2011/4/29 毎日新聞の気持ち欄掲載

小さなエール

2011-05-03 13:07:35 | はがき随筆
 45年ぶりにサッチャンの声。柔らかな日差しの校庭で、バイオリンを手にしたおかっぱ頭のサッチャンが友達とはしゃぐ姿が一瞬にしてよみがえる。クリクリした瞳のサッチャンには花壇のチューリップがよく似合う。「住まい、移ったんだね」「そうだね、いろいろあってね」。電話の声だけなのだが、サッチャンは私の思い出の中の中学生のままだった。その後、送られてきたメールに「全介助の娘と二人三脚で日々楽しんでいます」とあった。妻に相談し、私は青空を背景に桃の花を撮って絵はがきにした。サッチャンへの小さなエールとして。
  霧島市 久野茂樹 2011/5/1 毎日新聞鹿児島版掲載

生きて

2011-05-03 13:02:22 | はがき随筆
 東日本大震災の宮城県の避難先で、恵美雅信さんは自宅も絶望的なのに、カギを取り出して「ほれ、オレには、これがあるから大丈夫」。そう言って笑わせた。読みながら涙がこぼれ、本紙の記事をぬらした。
 5年前の県北部の水害で、私は家財道具のすべてを失った。水害の半月後に、私は初めて笑った。私たち以上に表情がこわばる。被災者の方々の緊張を解くには、笑いが一番の特効薬だ。
 擦り傷程度の被害で泣いた私は恥ずかしい。家も仕事も失ったあなたたちへ励ましの言葉も探せないけど「どうか、生きてください」。
  出水市 道田道範 2011/5/1 毎日新聞鹿児島版掲載