これは今のパスポート。
これひとつで、どこへでも行くことができます。
が、昔、といっても1153年前はちょっと違いました。
仁寿3年(853)、仏法を求めて中国に渡った円珍のパスポートです。
これはその一部
円珍は空海の姪を母に持つ、天台宗の僧。
中国で巡礼求法の旅をし、帰国後、天台宗の本山、延暦寺のトップである座主となります。
その円珍の中国渡航の際の文書が、円珍が開いた三井寺と東京国立博物館に残されています。
昨年、東京国立博物館で同館所蔵分が一挙に公開されたのでそれを見てきました。
先にも記したように、現在ではパスポートはひとつあればよいのですが、昔は今と違って国際的な取り決めはありませんでした。
上の3つのうちの一番左のものです。
まず、出国にあたっては九州にある国の出先機関・大宰府※から証明書が必要でした。
※今は太宰府市と「太」ですが、昔の役所は大宰府と「大」の字でした。
上の3つのうちの真ん中のもの(の最初の文書)
次に出国直前にもう一度。これは、円珍自筆の申請書に加筆して証明書としたもの。
中国に到着すると、円珍は出国直前に発行された証明書を添えて、自筆の申請書を地元の役所(ここでは福州都督府)に提出します。
上の文書の左に貼り継がれているもの
福州都督府では、随行人数や持ち物をチェックし(朱点や朱文字がそうです)、入国の目的(「巡礼」)や行き先(五台山←世界遺産になってます)を追記して、許可します。
上の文書の左に貼り継がれているもの
ただし、これだけではありません。
途中、違う州に入るたびに別の許可書が必要でした。
上の3つのうちの右側のもの(の最初の文書)
行く先々で証明書をもらわなければならない巡礼の旅は、今に比べれば不便かもしれません。
でも、聖地へ赴きたいという気持ちを持つ円珍はそんなことは感じなかったのかもしれませんね。