かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

慧日寺跡に行って来ました②

2012年08月21日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
磐梯山のふもとにある慧日寺。

今でも法灯は続いておりますが、もちろん創建当時の建物は失われてしまっています。

ただ、どんな建物があったのか、発掘調査によって明らかになりつつあります。

特に、中心建物群は詳細に調査が行われており、往時の建物が2棟復元されています。

 遺跡入り口より

そのひとつが中門(ちゅうもん)



奈良時代の大寺では、伽藍の中心建物である金堂の前に建てられ、この2つの建物の周りには回廊がロの字にめぐり両者を結んでいます。

この回廊で囲まれた空間で儀式が行われるわけです。

慧日寺跡では回廊は検出されていなかったようですが、かわりに中門と金堂との間には石が敷き詰められ、回廊に囲まれた空間を明示していたのでしょう。


背面(金堂前)から見た中門。背後に石が敷き詰められているのが分かります。

石敷を施せば儀式が行われる位置は明示できますが、回廊がなかったため、これでは結界としては不十分です。

それを補う意味で中門を作ったのではないでしょうか?

中門は、正面に柱が4本、側面には3本(桁行3間・梁間2間)、立てられていたことが発掘調査で確認されています。

 

そうした場合、八脚門か楼門だと想定されますが、中世の「慧日寺絵図」から八脚門と判断されたようです(建物は建て替えられても、建て替え以前の建物形式を踏襲することが多いのです)

八脚門は、前面に柱が4本、背面にも4本柱があるので、足して8本の脚があることから付けられた名前。

ちなみに、長者ヶ原廃寺跡の南門も桁行3間、梁間2間と、慧日寺跡の中門と同じ柱配置ですが・・・・・、

 

この部分に柱がないので、違った形式の門(←あまり類例がない)となります。

慧日寺跡の復元中門を見ながら、長者ヶ原廃寺跡の南門はどんな姿だったのか、しばし考えをめぐらせました・・・・・・

が、あまりに暑くてどんな姿だったのか、思い浮かびませんでした。

修行不足です。
コメント (2)
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