『老眼は、年さへ取れば誰しもが経験するにきまつてゐるものであるから、
一人一人は自分の眼を気にしてゐても、その不便を世間に披露する段に
なると、これまた余りに当り前のことになつてしまつて、一向に面白味がない。』
これは、当時東京大学史料編纂所の教授で、後に所長を経て、国立歴史民俗博物館館長を務められた、土田直鎮さんの「老眼」※という随筆の書き出しです。
※『日本歴史』300号(1973年)に初出で、『平安京への道しるべ』(土田直鎮著 吉川弘文館刊)に再録されています。
実はkaneurikichiji 、まだアラフォーですが、もうすでに、老眼。
まだ、新聞を読むのに、腕をまっすぐ伸ばして読むほどではありませんが、パソコンに向かって仕事をしていて同僚に資料を見てほしいと渡された文字がすぐに読めなかったり、ちょっとでも暗い場所だと新聞の活字も少し読みにくかったりします。
そんな程度なので、生活するのには困りはしないのですが、問題は研究。
先日も書きましたが、文字そのものの研究もしているので、木に文字が記された木簡(もっかん)を読むのがどうなのか、非常に気になります。
ものによっては、こんな感じで・・・・・
解読作業をするのです。
これは岩手県の道上(どうのうえ)遺跡から出土した木簡を、土田直鎮さんの四代後の館長である平川南先生(左)と解読しているところです。
通常、木簡の解読作業はこんなに暗い場所では行いません。
この木簡の場合、文字の墨が抜けてしまったため、斜めから光を当てて、わずかな凹凸をたよりに解読しなければならなかったので、こんな作業風景となったのです。
最近、木簡を読む機会がめぐってこないので、ちょっと不安。
体を鍛え上げたアスリートがソチで活躍する姿を見るたびに、眼を鍛える方法はないものかと思い悩んでいる今日この頃です(笑)
一人一人は自分の眼を気にしてゐても、その不便を世間に披露する段に
なると、これまた余りに当り前のことになつてしまつて、一向に面白味がない。』
これは、当時東京大学史料編纂所の教授で、後に所長を経て、国立歴史民俗博物館館長を務められた、土田直鎮さんの「老眼」※という随筆の書き出しです。
※『日本歴史』300号(1973年)に初出で、『平安京への道しるべ』(土田直鎮著 吉川弘文館刊)に再録されています。
実はkaneurikichiji 、まだアラフォーですが、もうすでに、老眼。
まだ、新聞を読むのに、腕をまっすぐ伸ばして読むほどではありませんが、パソコンに向かって仕事をしていて同僚に資料を見てほしいと渡された文字がすぐに読めなかったり、ちょっとでも暗い場所だと新聞の活字も少し読みにくかったりします。
そんな程度なので、生活するのには困りはしないのですが、問題は研究。
先日も書きましたが、文字そのものの研究もしているので、木に文字が記された木簡(もっかん)を読むのがどうなのか、非常に気になります。
ものによっては、こんな感じで・・・・・
解読作業をするのです。
これは岩手県の道上(どうのうえ)遺跡から出土した木簡を、土田直鎮さんの四代後の館長である平川南先生(左)と解読しているところです。
通常、木簡の解読作業はこんなに暗い場所では行いません。
この木簡の場合、文字の墨が抜けてしまったため、斜めから光を当てて、わずかな凹凸をたよりに解読しなければならなかったので、こんな作業風景となったのです。
最近、木簡を読む機会がめぐってこないので、ちょっと不安。
体を鍛え上げたアスリートがソチで活躍する姿を見るたびに、眼を鍛える方法はないものかと思い悩んでいる今日この頃です(笑)