かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

ダービー前夜祭!

2012年05月26日 | 旧ブログ記事(その他)
明日は競馬の祭典、日本ダービー(東京優駿)。

おまけに、愛馬エポキシも同じ競馬場で出走します。

未勝利戦ですが、口取り式の抽選が当たったので、頑張ってほしいところです。

ダービーデイに口取りなんて滅多にできるもんじゃありませんから。

でも、、無理はしないでほしいです。

彼女が、もてる能力を発揮し切れればそれで1口馬主としては満足です。

今年は新幹線とホテルのパックで東京に来ました。

ここしか、しかも残り1室ということでしたが、チェックインしてびっくり。

以前紹介した、復元中の東京駅・丸の内駅舎を見下ろせます。夜景もなかなかきれいです。




明日はいいことありそうです。


熊野本宮大社へ行ってきました

2012年05月25日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
熊野速玉大社の後は、いよいよ熊野本宮大社へ。



熊野川ぞいの道を走ったのですが、崖崩れなど昨年の豪雨の被害を目の当たりにして、かなり衝撃を受けました。

道路もまだほとんど復旧しておらず、被害の大きさを改めて実感しました。

昨年の津波の被害で分かっていたことですが、やはりテレビで見るのと自分の目で見るのとでは全く違いました。

熊野本宮大社も、1889年、同じような洪水の被害に遭っています。

かつては熊野川が音無川と合流するあたり、大斎原(おおゆのはら)に鎮座していましたが、洪水で多くの社殿が流されたため、残った建物が現在の場所に移築されたのです。

そんな歴史を持つ熊野本宮大社のある和歌山。

今回の被害もきっと克服して、復興するに違いありません。


ヒキガエルがご神体

2012年05月24日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
補陀洛山寺を後にして、熊野速玉大社へ。

がその前に、もうひとつ行くところが。

熊野速玉大社の元宮といわれている神倉神社。



ここのご神体は巨大な岩。



地元では「ゴトビキ岩」と呼んでいるようです。

「ゴトビキ」とはこの地方の方言で、ヒキガエルのことを指すようです。

神さまを「ひきがえる」いうなんてと思いますが、見ればやっぱりヒキガエルに見えます。

ここは標高こそ低いもののかなり急な斜面を登らなければならないので、鳥居の前で引き返す人もいるようです。



でも、登ってみると絶景なので、苦労しても登ることをオススメします。

晴れてれば熊野灘が一望できるはずだったんですが・・・・

その後、熊野速玉大社へ。



驚いたのはご神職が、雨の中駐車場の誘導をしていたこと。

寺社の駐車場でお坊さんやご神職に誘導されたのは初めてです。

鳥居をくぐってこんな案内板もありました。



ホスピタリティあふれる熊野速玉大社。

時間の関係で拝観できなかった神宝館を訪れにまたいつか参拝したいと思います。

昔 補陀洛、今 まぐろ

2012年05月23日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
熊野那智大社の朱色のお宮を見たからというわけではありませんが、この日のお昼は紀伊勝浦駅近くの“竹原”というお店にまぐろ定食を食べに。

 お店を探すのには“生まぐろマップ”が便利です。

盛岡に住んでいるkaneurikichiji にとって、まぐろといえば青森の大間ですが、こちらだと勝浦なんですね。

おなかが膨れた後は、これも熊野三山のひとつ熊野速玉大社へ。

がその前に、ここ外せません。


本尊は千手観世音菩薩立像。お寺の方に申し出れば拝観可能です。

補陀洛山寺(ふだらくさんじ)。


極楽浄土が西の彼方にあるのと同じように、南の海の彼方にあると信じられていた補陀洛浄土。

補陀洛山寺は、幾人もの修行者が、その補陀洛浄土を目指して、渡海船とよばれる小舟に乗って出向したところ。

境内には復元された渡海船が展示されています。

昔、浄土を目指して船出した所は、今はまぐろを目指す漁船の港となっているのです。

あぁ!勘違い

2012年05月22日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
昨日の記事の最後の写真。

『青岸渡寺・三重塔と那智大瀧』というキャプション。

これは間違っていませんが、実は行ってみるまで勘違いしていました。

あの三重塔は熊野那智大社の三重塔だと思いこんでいたのです。

お社の隣りに青岸渡寺があるのは知っていましたが、なにせ熊野那智大社の社殿が・・・・・

拝殿(右)と八社殿

で、青岸渡寺の本堂は・・・・

 如意輪堂ともいうようです。

ですから、同じ色なので・・・・。

まぁ、明治の神仏分離以前は一体だったといわれてますから、あながち間違いでもないんですけど。

知ったかぶりをしなかったのだけが救いでした。