かねうりきちじの横浜・喫茶店めぐり

珈琲歴四十年の中の人が、珈琲豆荷揚げ量日本一を誇る横浜港のある町の喫茶店でタンザニア産コーヒーを飲み歩きます

帰りの車中も旅行です

2014年06月18日 | 旧ブログ記事(その他)
『家に帰るまでが遠足です』

kaneurikichiji は言われたことはありませんが、ドラマや漫画で、遠足が終わって、先生が児童・生徒にいうセリフ。

でも、これはある意味、大人にとっても真実かも。

それは...



帰りの新幹線での楽しみとして駅弁があるから。

駅弁はなるべく、いやできる限り幕の内を買わないようにしています。

だって、見て歩いた地域の名物の弁当を食べるのも楽しいじゃないですか!

それに、特に西日本の食文化は北・東日本と結構違ってますし。

今回、kaneurikichiji が選んだのは、京丹後市網野町の“ばらずし”。



『鯖をおぼろとし、数々の具と共に当地方でまつぶたと呼ぶ長方形の木箱に段状に重ねて』作ったもの(しおりより)。

お祝いの席で振舞われたものらしく、ちょっと甘めですが、旅で疲れた体にはちょうどよいかも。

京旅行からの帰りにオススメの駅弁です^_^

東京からの東北新幹線では、ヤッホーブルーイングの



“水曜日のネコ”を飲むことが多いですね。

東京のではなくて、長野の地ビールですけど...f^_^;)

というわけで、『家に帰るまでが遠足です』は大人ならば、『帰りの車中も旅行です』といったところでしょうか(笑)

揃ったと揃ったところを見てみたい

2014年06月17日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
三日間の京都旅行の掉尾を飾るのは...



三十三間堂。

いつ来ても、本尊の両脇にいらっしゃる、千体の千手観音立像には圧倒されます。
 ※千手観音立像は千一体ですが、一体は本尊の背後にいらっしゃいます。

...と書きましたが、実際にはほとんどの期間、千一体が揃うことはないようです。

東京国立博物館などに出張されている観音様もいらっしゃるからです。

いつ行っても、何処かの場所が空いていて、○○国立博物館で展示中という札が立てられています。

はたして、千一体の観音様が揃うことはあるのでしょうか?

あったとしたら、その時を見計らって、お参りに行きたいのですけど...f^_^;)

へそ石~京都の地図の母

2014年06月16日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
清水寺の入り口、仁王門にはこんなものがあります。



三角点のようですが、ちょっと違います。



解説板があったので、読んで見ると、まぁ同じようなものでした。

1875年、京都市の市街地図を作成するために設置された標石(ひょうせき)のようです。

地図を作るには、まず基準となる地点を決めなければなりません。

その基準が動いてしまっては、地図にズレが生じてしまうので、基準点は四角柱の石を地面に埋め込みます。

これが標石です。

解説板によると、1875年の測量の時に設置された標石は、他に26か所あったようですが、現存するのはここだけだとか。

しかも、この標石も、設置された時からこのような感じではなく、いつしか埋もれてしまい、仁王門の補修工事の時に見つかったもののようです。

南禅寺の琵琶湖疎水といい、寺社には日本の近代化を支えたものがたくさん残されています。

古いものばかりでなく、そんな近代化遺産を見て歩くのもおもしろいかもしれません。

聞くのと見るのとでは大違い

2014年06月15日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
南禅寺に続いては、おそらく京都市内で観光客の入り込み数が最多と思われる・・・・



清水寺へ。

舞台から眺める人、舞台を眺める人で賑わっておりました。

が、ちょっと違った場所から違った角度で撮影すると・・・・



斜面では重機が稼働中。

昨年の台風18号に伴う豪雨で、法面が崩落したようです。

南禅寺でも、多量の土砂が流れ込んだ沢が大きくえぐられて、保全工事中でしたし、特別警報が発令されたあの豪雨は、嵐山だけでなく京都市内
各所に大きな被害をもたらしたようです。

kaneurikichiji も清水寺などで被害があったことは新聞報道などで知ってはいましたが、嵐山がメインだったので、写真などで見ていたわけではなく、どんな程度か知りませんでした。

今回、実際来てみて、大きな被害だったのだと実感できました。

やはり聞くのと見るのとでは大違いですね。

現場に足を運ぶことの大切さを再認識した清水寺参拝でした。

南禅寺が疎水

2014年06月14日 | 旧ブログ記事(文化財関係)
南禅院を行く途中、こんなレンガ造りのものがあります。





琵琶湖疎水です。

琵琶湖から京都市に水を供給するためにつくられた水路で、第1疎水が1890年、第2疎水が1912年に完成しています。

建設計画ができた時点では、古都の景観にそぐわないとの理由で反対活動が起きたようですが、今ではテレビドラマの撮影場所としてよく利用されているようで、京都市の顔のひとつとなっているようです。

たしかに完成直後の100年前、あまり景観にはそぐわなかったかもしれませんね。

が、今では観光の人気スポット。

何が幸いするか分かりません。

『塞翁が馬』ならぬ『南禅寺が疎水』といったところでしょうか(^^)