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ゆるゆるらいふ

とりあえず、今日も一日機嫌よく・・・

國語元年

2015年09月06日 | 演劇

言葉というものは生き物だ、ということをしみじみと感じさせられた舞台だった。

故井上ひさしさんの戯曲なんだから当たり前と言えば当たり前。

私自身も東京に出てきたときに、言葉の違いを実感している一人だ。

時は明治7年の春。

文部省官吏の南郷清之輔の家にピアノの伴奏にのせた歌声が響く。
小学唱歌集編纂の命を受けた清之輔が作った歌を家族や使用人が楽しそうに歌っているのだ。

メロディは「むすんでひらいて」とか「線路は続くよどこまでも」とか
耳慣れたものだけれど、歌詞が全然違う。

讃美歌なども交じっている。

やっとの思いで完成した小学唱歌集は、日の目を見ることなく、上司にスルーされ、
次に命じられたのは「全国統一話し言葉を制定せよ」というもの。
この日から、南郷家はさあ大変

だって、この家は方言のオンパレード。
清之輔本人は長州、妻と舅は薩摩、三人の女中は江戸山の手言葉と下町のべらんめえ言葉と米沢のズーズー弁。
車夫は遠野弁、書生は名古屋、小学唱歌編纂のために迎えた洋楽教授はアメリカ育ちで日本語がビミョー。
大阪から人違いで乗り込んできたお女郎さんは河内弁、国学の押しかけ教授のお公家さんは京ことば。
挙句の果てに押し込んできた強盗は会津訛り。
よくみんな相手につられずに流れるように方言をしゃべれるものだと感心する。
私なんて、相手の言葉にすぐつられちゃうのに・・・。

まじめで人がいい清之輔を演じるのは八嶋智人さん。
家族にも使用人にも分け隔てなく、決して偉ぶらず、どんな小さな意見もちゃんと聞く。
小柄な八嶋さんが、自分の仕事に誇りを持ち、いつも胸を張ってる姿がコミカルでいじらしい。
それがだんだんと自信を無くしていく姿が本当に痛ましい。

そんな清之輔の妻、光に朝海ひかるさん。
八嶋さんより頭一つすらっと背が高く、常に優しい薩摩弁ですべてを「よかよか」と受け入れる。
どんなに大変なことが起こっても、一人だけ話すスピードが変わらず、ゆったりと構えている姿は見習わねば、と思う。
夫の成功を心から喜び、逆境にあっては優しく見守り、使用人たちにも慕われ、親孝行。
世の男性たちの理想の妻なのではないだろうか。

清之輔の名を語った男に騙されて、怒鳴り込んでくるお女郎、ちよは竹内都さん。
まんまるでかわいい
最初はすさんでいたけれど南郷家の人々の優しさに触れ、徐々に南郷家のためにつくしはじめ、
その思いの強さから、ついつい余計なことをして清之輔をおとしめることに・・・。

山本龍二さんが演じる会津訛りの強盗、虎三郎が深い。
強盗に入るものの、訛りが強すぎて何を要求しているのかがまったく伝わらない。
けれど、なかなかインテリで常に冷静で、みんなが変な方向に向こうとするときに、的確な指摘で流れを変える。
こういう人が政治家の中にいてくれたらなあ、と思ったりする。

清之輔の努力と混乱は徐々に増していき、なんだかちょっとヤバいぞ、って感じになってくる。
明るい八嶋さんがどんどんシリアスになっていくのが、追い詰められてる様子をリアルに感じさせて、
じわじわと胸に迫ってくる。

結局、全国統一話し言葉は完成することなく、清之輔の部署は解体されてしまう。

何かが完成したり、おめでたいことがあったりするたびに書生が集合写真をとろうとするのだが、
旧式のカメラはシャッターを押してから取り終えるまでに時間がかかり、いつも何かの邪魔が入って、まともに撮れたためしがない。
このことが、「うまくいかない」未来を予言しているようで、さらっと不穏な空気を醸し出している。

言葉を統一するなんてしょせん無理、と井上さんはおっしゃる。
使っている人の言葉それぞれが日本語で、その総和が日本語、だと。

私自身もそうだったけれど、地元で話しているときには、その言葉が標準語かどうかなんて意識したことが無かった。
むしろテレビドラマで女の人たちが話す「~かしら?」「~だわ」なんて言葉は、テレビの中でしか使われてないモノだと思っていたくらい。
こっちでホントにそんな風に話しているのを目の当たりにしたときのカルチャーショックったら
それに、どうしても標準語には置き換えられないニュアンスの言葉たちもたくさんある。

関東に住んでいるのが北海道で暮らしていた時間よりずいぶんと長くなってしまった今でさえ、
これは標準語?それとも方言?と思うことがある。

そして、地元の友達と話していると、あっという間に地元の言葉に戻ってしまう。
そのことは、とても自分を安心させてくれる。

「美しい日本語」はありえない、とも井上さんはおっしゃる。

確かに、みんながアナウンサーのようにきれいに話していたら気持ち悪い。


南郷家は民主主義の理想の形なのだろう。
みんなが善人で、一人一人の意見や立場や言葉を大切にし、犯罪者に対しても愛情をそそぎ、犯罪者もまたその愛を受けて改心し・・・。

現実はとてもとてもそんな風には行かず、今日もまた悲しい事件が起きている。
政治の世界は民主主義とはほど多い様相を呈している。

相手の言葉に込められた思いををきちんと受け止め、
自分の想いが真っ直ぐに相手に伝わる言葉を話すことが出来たら、
それこそが「美しい言葉」なのかもしれない。

そんな美しい言葉を使えるような人になりたいものだ、などとしみじみと思ったステキな舞台でした。





















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天空の蜂

2015年09月06日 | 映画

試写会が当たった

あまり何も考えずに応募したので、それほどの期待もなく妹と二人で出かけて行く。

会場は有楽町の朝日ホール。

ボヤ~っと観てたら、のっけから「え?いきなり?」っていう急展開。

どきどきハラハラの連続だ

「あぶない」とか「あともう少し」とか
心の中で叫びながら、踵が浮いてくる

最新式のヘリコプターが何者かにジャックされ、原子力発電所の真上に。
燃料が無くなれば墜落し、発電所が大破する。
しかも、ヘリには爆薬が
しかもしかも、なぜかこのヘリには設計者の息子がいたずらで乗り込んじゃったまま

犯人の要求は「日本中の原発を破壊すること」

この事態を何とか収拾すべく、ヘリの設計者と、原子力発電所の設計者と警察・自衛隊が
命がけの攻防を繰り広げる。

ヘリの設計者が江口洋介さん。
原子力発電所の設計技術者が本木雅弘さん。

この二人はもともとは仲が良かったようだが、今はなにか確執があるらしい。

親子・夫婦の気持ちのすれ違い、いじめ問題、政府の事なかれ主義、核の恐ろしさ、
原発の危うさ、国民の無関心と身勝手さ。

どれもこれも、まさに今私たちが抱えている問題で、とても原作が20年前に書かれた小説とは思えない。

原作を読んでないので、もしかしたら現代に摺り寄せた部分はあるのかもしれないにしても、だ。

モックンが言う「(政府にとっては)国民の命より、電気の方が重い」
というセリフが胸にささる。

福島が今なおあんな状態なのに、政府は原発を再稼働させてしまったこのとき、
あまりにもタイムリーだ。

実際にヘリを遠隔操作するのは綾野剛さん。
結局は利用されただけみたいになっちゃう悲しい犯人だ。

真の首謀者が、その原発をターゲットにしたのは、そこでなければならなかった明確な理由があり、
それがまたとてもリアルで、福島原発の事故は起こるべくして起こったと思わずにいられない。

どきどき、ハラハラしたかと思うと、じ~んと切なくなったり、ほっこりと温かくなったり、
とにかく自分の感情がジェットコースターのようにアップダウンを繰り返し、
観終ったら、なんだかぐったり疲れてしまった。
もちろん、途中で眠くなる暇なんてなかった

最後に国民に向けた犯人からの重いメッセージは、ついに送信されずじまい。

ああ、ほんとうにこの国はどうなっていくんだろう。

もし、試写会に当たらなかったら、わざわざ映画館には行かなかったかもしれない。
思いがけず、いい映画を観させていただいた。

ただ一つ残念だったのは、会場が映画館じゃないのでスクリーンが小さかったこと。
これが大スクリーンと本格的な音響ならもっとどきどきしたことだろう。

このところ、ちょっとイッっちゃった感じの安倍総理とその周りの人たちの暴走が止まらない。
こんな事件が本当に起こったら彼らはいったいどうするんだろう。
自分たちだけシェルターに入りかねない、って思っちゃうほど信用できない。

選んだのは国民だ、といわれても、総理を自分たちで選ぶことはできないし、
やめてほしい、と思う人がいても選挙区が違うとどうすることもできない。

出馬ごとに選挙区をランダムにシャッフルしてほしいものだ。
そうすれば政治家にももう少し緊張感がでそうなものを・・・。

と、話しがそれてしまったけれど、とにかくいい映画だった。

原作もぜひ読んでみようと思う












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