数十年前に、家族の人生が変わってしまう出来事があり、
以来、父方の親戚とはすっかり縁遠くなっていた。
イトコ達がどこで何をしているのかもまるでわからない、といったありさまだ。
もちろんそれはお互いさまで、彼らも私たちがどこでどうして生きているのか、
生きているのか死んでいるのか、もわからなかったはずだ。
その昔、実家はいわゆる「本家」で、お盆とお正月には親戚一同が集まり、
イトコ達と遊べるのを心待ちにしたものだった。
こんな風に音信不通になる日がこようとは、想像もしていなかった。
今回連絡を取ることになったきっかけは、叔母の訃報。
同じ町に住み、小さなころからお世話になった叔母の訃報が母のもとに届き、
私達姉妹は連名でお香典を送った。
その叔母の長男であるイトコが電話をくれたのは数日後だ。
ひとしきり、当たり障りのない近況報告をしたのち、イトコで集まろうと思ってる、と告げられた。
しばらくして、具体的な日時・場所が書かれた手紙が送られてきた。
・・・悩んだ。
彼らはほとんどが道内にいて、冠婚葬祭で時々顔を合わせているが、
私は20数年前の祖母の葬儀以来。
家族で相談した結果、今後のことも考えて、とりあえず私1人だけ参加することに。
札幌から1時間ほど離れた温泉施設が今回の集まりの会場だ。
宴会の後1泊して翌日お墓参りをして解散、というスケジュール。
最寄りの駅で待ち合わせしたものの、予想通り、迎えに来てくれたイトコも私も、
お互いがよくわからない。
お互いに「そうかな~?」とちらちら見ながら、探り探り声をかける。
かくして、20数年ぶりに10人のイトコと再会し、
食事をしながら、それぞれの今までのことや、近況を報告し合う。
珍しく緊張して、言葉を選んで話したせいか、普段使わない脳ミソを使ってしまったらしく、
蒲団に入ってから、なんだか目がさえて寝られない。
普段、寝られない、なんてことがない私は、「これが寝られないってことなのね」
とこの年になって、しみじみ思ったりする。
貴重な体験だ。
翌朝、現地で解散した後、墓参り組はイトコの車でお墓まで。
何もない道をひたすら走ること約1時間半。
お墓では、昨日参加できなかったイトコが待っていてくれた。
彼の家がお墓を管理しているので、広い霊園の中で、お墓の場所まで案内してくれる。
昔、お墓のあった場所からこの霊園にお墓を移したので、私達はお墓の場所もわからず、
もう一生祖母のお参りはできないと思っていたので、来てよかった、と思った。
お墓を案内してくれたイトコが、私と小樽に住むイトコ姉妹を札幌まで送ってくれるという。
途中、お茶しよう、ということになり、4人で近くのホテルでケーキセットをいただく。
それまでの大人数の中ではちょっと話にくい、立ち入ったことを問われ、
私も少し踏み込んだ内容を答える。
彼は、私の2歳年上で、同い年の彼の妹と共に、一番仲良く遊んだイトコであり、
本気で心配してくれていたのが伝わってきた。
私の答えは、長年の彼の心のしこりを少しは小さくできただろうか。
お互いの連絡先を交換し、札幌駅でイトコ達と別れ、
この後の幼馴染たちとの約束の時間まで、少しホテルでゆっくりしよう。
なんだか、とても疲れたけれど、もし、今回イトコ達と再会できなければ、
死ぬまで彼らに会えなかったかもしれない。
長い長い年月の間に、それぞれ色々なことがあったけれど、
今回元気で再会できたことは、奇跡のようだ。
色々な想いはあるけれど、こんな風に会える機会を作ってくれた、
幹事のイトコには感謝している。
もしかすると、もう会えないかもしれないけれど、みなさん、どうかお元気で。
以来、父方の親戚とはすっかり縁遠くなっていた。
イトコ達がどこで何をしているのかもまるでわからない、といったありさまだ。
もちろんそれはお互いさまで、彼らも私たちがどこでどうして生きているのか、
生きているのか死んでいるのか、もわからなかったはずだ。
その昔、実家はいわゆる「本家」で、お盆とお正月には親戚一同が集まり、
イトコ達と遊べるのを心待ちにしたものだった。
こんな風に音信不通になる日がこようとは、想像もしていなかった。
今回連絡を取ることになったきっかけは、叔母の訃報。
同じ町に住み、小さなころからお世話になった叔母の訃報が母のもとに届き、
私達姉妹は連名でお香典を送った。
その叔母の長男であるイトコが電話をくれたのは数日後だ。
ひとしきり、当たり障りのない近況報告をしたのち、イトコで集まろうと思ってる、と告げられた。
しばらくして、具体的な日時・場所が書かれた手紙が送られてきた。
・・・悩んだ。
彼らはほとんどが道内にいて、冠婚葬祭で時々顔を合わせているが、
私は20数年前の祖母の葬儀以来。
家族で相談した結果、今後のことも考えて、とりあえず私1人だけ参加することに。
札幌から1時間ほど離れた温泉施設が今回の集まりの会場だ。
宴会の後1泊して翌日お墓参りをして解散、というスケジュール。
最寄りの駅で待ち合わせしたものの、予想通り、迎えに来てくれたイトコも私も、
お互いがよくわからない。
お互いに「そうかな~?」とちらちら見ながら、探り探り声をかける。
かくして、20数年ぶりに10人のイトコと再会し、
食事をしながら、それぞれの今までのことや、近況を報告し合う。
珍しく緊張して、言葉を選んで話したせいか、普段使わない脳ミソを使ってしまったらしく、
蒲団に入ってから、なんだか目がさえて寝られない。
普段、寝られない、なんてことがない私は、「これが寝られないってことなのね」
とこの年になって、しみじみ思ったりする。
貴重な体験だ。
翌朝、現地で解散した後、墓参り組はイトコの車でお墓まで。
何もない道をひたすら走ること約1時間半。
お墓では、昨日参加できなかったイトコが待っていてくれた。
彼の家がお墓を管理しているので、広い霊園の中で、お墓の場所まで案内してくれる。
昔、お墓のあった場所からこの霊園にお墓を移したので、私達はお墓の場所もわからず、
もう一生祖母のお参りはできないと思っていたので、来てよかった、と思った。
お墓を案内してくれたイトコが、私と小樽に住むイトコ姉妹を札幌まで送ってくれるという。
途中、お茶しよう、ということになり、4人で近くのホテルでケーキセットをいただく。
それまでの大人数の中ではちょっと話にくい、立ち入ったことを問われ、
私も少し踏み込んだ内容を答える。
彼は、私の2歳年上で、同い年の彼の妹と共に、一番仲良く遊んだイトコであり、
本気で心配してくれていたのが伝わってきた。
私の答えは、長年の彼の心のしこりを少しは小さくできただろうか。
お互いの連絡先を交換し、札幌駅でイトコ達と別れ、
この後の幼馴染たちとの約束の時間まで、少しホテルでゆっくりしよう。
なんだか、とても疲れたけれど、もし、今回イトコ達と再会できなければ、
死ぬまで彼らに会えなかったかもしれない。
長い長い年月の間に、それぞれ色々なことがあったけれど、
今回元気で再会できたことは、奇跡のようだ。
色々な想いはあるけれど、こんな風に会える機会を作ってくれた、
幹事のイトコには感謝している。
もしかすると、もう会えないかもしれないけれど、みなさん、どうかお元気で。