【ゲルニカ】
パルコ劇場
脚本 長田育江
演出 栗山民也
遠い遠い昔にマドリードのプラド美術館でピカソの「ゲルニカ」を見た。
新婚旅行でスペインを訪れたときのこと。
ただ、怖い絵だな~とぼんやり見た。
歴史が苦手だったのだ。
展示されたいた子供のころのピカソの絵を見て、天才は子供のころから絵がうまいんだなあ、などとぼんやり眺めて回っていた。
もっとちゃんと見ておけばよかった、と悔やまれる・・・。
お芝居の内容は・・・
現在上演中なのであんまり細かくは書けないけれど。
1936年、スペイン、バスク地方
戦いを好まず、話し合いですべてを大きな樫の木の下に集って決めてきた平和なゲルニカの民は、市民の士気喪失の実験のための爆撃によって殺された。
その事実もなかったことにされるところだった。
結婚式を当日に控えて、何不自由なく幸せに暮らしていたゲルニカの元領主の娘サラ(上白石萌歌さん)の運命とともにゲルニカの悲劇がじわじわと迫ってくる。
サラの厳格な母親マリア(キムラ緑子)さんの凛とした中に秘める報われない愛や寂しさや悲しさ。
サラを純粋に愛していたのかと思えば、苦悩しながら冷酷に置き去りにするイグナシオ(中山優馬)
戦火を潜り抜け、真実を伝えようと奮闘する二人の記者クリフとレイチェル(勝地涼さんと早霧せいなさん)
抒情的な小説のような記事で戦場を美しく表現するクリフにレイチェルが激しく意見する。
見たままの事実を伝えなければいけない、
自分たちは事実とは違ったことに書くこともできる。
書かなかったことは歴史の中で無かったことになる。
というような内容だったと思う。
これはまさに今私たちの周りで起きていること。
公的な文書が改ざんされたり、破棄されたり・・・
覚えている人がいなくなればなかったことになってしまうのだ、ということが実感できた気がする。
そしてまた、「戦争は人々の普通の暮らしを奪う」というようなセリフもあった。
今のコロナ禍でさえ、少し前までの普通の生活ができなくなっている。
「平和」って尊い。
爆撃が終わり、静かな静かな舞台の上に、焼けたかしの木のシルエット。
そこに重なって次々と写し出されるゲルニカの絵のいくつものカット。
ちょっとコミカルにも見えるピカソの画風がより悲惨さや悲しさ、無念さをそそって、胸が痛む。
長田さんの脚本はとにかくいつもセリフが心に響く。
すっとストレートに心に刺さる気がする。
心の中を伝える言葉が的確でわかりやすくて好き。
それにしても、やっとパルコ劇場に行くことができた。
4月初めの「ピサロ」(渡辺謙さん主演)
6月の「佐渡島他吉の生涯」(佐々木蔵之介さん主演)
はいずれも公演中止で払い戻し。
7月の三谷幸喜さんの「大地 ソーシャルディスタンスバージョン」(大泉洋さん主演)はチケットが取れたのに、上演されたのに、義母の介護中で泣く泣く払い戻し。
これは、イープラスの生配信を観ることができたけど。
4度目にしてやっと劇場に足を運ぶことができた。
入り口はすっかりスタイリッシュに様変わり。
上演前や休憩時間にはテラスに出て外の空気を吸こともできる。
日影が無いので夏はきびしいかも。
夜はきれいかもしれません。
旧パルコ劇場で最後に観た舞台は中井貴一さん主演の「メルシ―おもてなし」という落語をお芝居にしたコメディーだった。
その時のロビーは
パルコの中にあるとは思えないレトロ感。
売店では珈琲などと一緒に、おばさんがホットプレートでおにぎりを焼いて売ってたりもした。
この素朴な感じが好きだったけど、今はパルコの中、って感じになった。
ちょっと寂しい。
気になるコロナ対策は・・・
靴裏の消毒に始まり、検温、手指の消毒。
座席は一人おき。
前後も互い違い。
このところ、前の席に頭が大きな人、座高の高い人が座る率が高かったので、ものすごく快適に観ることができた。
隣の席に荷物を置けるのもうれしい。
少しずつ、演劇やコンサートが復活しているけれど、なんとなく様子を見ながらチケットを買うようになった。
だって、中止になった時のがっかり感がハンパない。
さらに今は、自分が感染することよりも、それによって義母の介護のローテーションが崩れたり、義母に感染させてしまったり、というのが怖い。
久しぶりに渋谷に行ったけれど、すべてを素通りして帰ってきた。
観劇の前や後にご飯を食べたりお茶したり、ということもなく、一人ですっと行ってすっと帰ってきた。
友達と誘い合い、美味しいものを食べながら感想を話したり・・・ということが普通にできる日々に一日も早く戻れることを願うばかり。
そして、この日の夜は鶴瓶さんの「スジナシ」を、劇場には行かず自宅で生配信で観たのでした。