人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

映画「小さいおうち」 『太平洋戦争全史』等 大雪 週間フォト日誌

2014-02-10 05:00:00 | 近現代史

2月2日(日)、南町田で山田洋次監督「小さいおうち」を観た。映画館で映画
を観るのは、せいぜい平均年1回というところなのだが、このところ「利休にた
ずねよ」、「永遠の0」、「小さいおうち」と月1のペースである。この分で行けば、
1年で12本も観ることになってしまう(笑)。夫婦50割引にせよ、シニア割引
にせよ、1000円だから映画は安い。

皆さん、役になりきってお上手だった!原作と映画の違い(--監督・脚本山
田洋次)が興味深い。

(余談)
プログラムの「年表」には、昭和12年「盧溝橋事件(日中戦争)」とあるが、映
画では日中戦争といわず「支那事変」といっており、当時の時代が(ほぼ)忠
実に再現されていた。

当時、盧溝橋事件があって、宣戦布告もせず、「支那事変」と称して、昭和16
年の対英米蘭などへの宣戦布告以前から戦争をやっていた。「太平洋戦争」
は、一般的に昭和16年以降の戦争をいうが、日本から見た場合の戦争のロ
ケーション(地域)は、太平洋だけではなく、その(ロケーションの)意味では
「大東亜戦争」の方がぴったりするのかもしれない。

平井雅樹(片岡孝太郎)だったか、柳という玩具会社の社長(ラサール石井)
だったか、「近衛さんにまかせておけば、だいじょうぶだろう」という場面があ
る。当時は近衛文麿は大変な人気で、政治家で唯一「近衛さん」とさん付け
で呼ばれていたようだ。近衛さんは、戦後の昭和20年12月に自殺してしま
ったが、「もし」自殺しなければ、東京裁判で絞首刑になった文官は広田弘毅
ではなく近衛文麿だったかもしれないと言われている。

(仮説)
戦時中といっても、食料などが切迫したのは、昭和19年のサイパン陥落以
降なのかもしれない???「進め一億火の玉だ」は昭和17年だが。

<キャスト>
平井時子;松たか子
布宮タキ;黒木 華
平井雅樹;片岡孝太郎
板倉正治;吉岡秀隆
新井健史;妻夫木聡
布宮タキ;賠償千恵子

橋爪 功
吉行和子
室井滋
中嶋朋子

ラサール石井
林家正蔵
松金よね子

笹野高史
あき竹城
蛍雪次朗

市川福太郎
秋山 聡

小林稔侍
夏川結衣
木村文乃

米倉斉加年


(余談2)
小説では・・・・・・タキは昭和5年に尋常小学校を卒業している。昭和5年卒業
時点で12歳ということである。ということは主人公は大正6年生まれ(または
大正7年早生まれ)となる。時子が平井家に再婚で嫁ぐのは昭和7年。小さい
おうちが新築されたのは昭和10年だった。

しかるに、映画では、タキが上京し、小さいお家が建ったのがともに昭和10
年になっている。時子の再婚云々もない。映画の「脚色」で、細部の話をカット
することから、こうなるのだろう。

ちなみに、私の父は大正7年、母は12年の生まれだった。母は、昭和12年
に笄(こうがい)小学校を卒業している。


南町田グランベリーモール


ポスター


大混雑--『永遠の0』だろうか。今だ上映中。


入口で切符と年令証明を見せる。



『小さいおうち』プログラム




中華街の(旧)正月ポスター






        *        *        *        *

週間フォト日誌

2月3日(月)
朝のベローチェ。前週の神立尚紀『祖父たちの特攻』から今週は亀井宏
『ドキュメント太平洋戦争』(講談社文庫)を読む。


『ドキュメント太平洋戦争全史』(上下)

『ドキュメント太平洋戦争』目次
第1章 対米交渉と開戦 1937--1941
1 真珠湾奇襲攻撃
2 対米和平交渉
3 日米関係のプロセス
4 日米交渉のネック
第2章 比島マレー進攻作戦 1941-1942
1 マニラ・コレヒドールの陥落
2 シンガポールは英東洋支配の牙城
3 グアム、ウェーキ両島と香港の占領
4 マレー沖海戦
第3章 ジャワ海の掃討とビルマ進攻 1941-1942
1 米英蘭の連合艦隊を駆逐
2 蘭印・ビルマ後略の意味
3 首都ラングーンへ無血入場
第4章 ミッドウェー海戦 1942
1 MO(モレスビー)作戦の目途とは?
2 珊瑚海海戦
3 AL(アリューシャン)作戦
4 ミッドウェー作戦が象徴するもの
5 伊号第百六十八潜水艦の奮戦記
第5章 戦機ソロモン海に満つ 1942
1 ガダルカナル島に飛行場設営をもくろむ
2 第一次ソロモン海戦、会心の勝利
3 川口支隊の夜襲、再起不能の失敗
第6章 ガダルカナル島争奪戦 1942-1943
1 戦艦金剛・榛名の巨砲、ガ島沖に咆哮す
2 師団単位の兵力投入
3 ニューギニア作戦推進の背景
4 比叡、霧島ソロモン海に沈む
5 増援輸送の方策、尽きる
6 水雷船戦隊のルンガ沖野戦
7 ガ島撤収の大命下る
8 ガ島をめぐる大本営の情勢判断
第7章 ラバウル航空隊 1943
1 ガ島撤退後の南東方面作戦
2 「い」号作戦発動さる
3 山本長官における人間の研究
4 キスカ撤収作戦とその真実
第8章 マリアナ沖海戦 1943-1944
1 絶対国防圏の策定
2 ブーゲンヴィル島沖の航空戦
3 マリアナ沖の大敗北
4 海軍乙事件
5 海上護衛総隊の新設
6 インパール作戦の構図
7 絶対国防圏の要・サイパンの陥落
第9章 レイテ沖海戦 1944
1 新内閣の作戦指導大綱
2 神風特別攻撃隊の誕生
3 戦艦武蔵シブヤン海に消ゆ
4 レイテ沖の会敵と追撃戦
5 比島方面作戦
第10章 大日本帝国の終焉 1944-1945
1 硫黄島守備隊の玉砕
2 水上特攻・戦艦大和出撃す
3 終戦の大詔渙発さる
あとがき
特別寄稿 『太平洋戦争全史』に寄す 浅田次郎
太平洋戦争関係年表 1941-1945









本郷通り


神田駿河台3丁目

今日は節分。恵方巻を東北東に向かって食べる。昭和62年、関西に転勤
するまで恵方巻は知らなかった。今は関東も恵方巻が浸透してきている。


セブンイレブンの恵方巻PR
25年前に広島から販売し始めたそうだ。


2月4日(火)











眉間にシワを寄せて、『ドキュメント太平洋戦争全史』--「第4章 ミッドウェ
ー海戦 1942」を読む。

戦争を知らない時代に生まれて、(私は)幸せである。

2月5日(水)
キンキンに冷え込んだ。

朝一番で「佐村河内さんの曲は別人の曲」というニュースが日本中を駆け巡
る。Bossと「(ゲラ刷りも終わり)、明日の『週刊文春』に記事が出るのではな
いか?」と(昼休みに)雑談。たいていのことには驚かないのだが・・・・・・。

YAHHO!ニュースでは「エンタメ」に分類されているが、「社会問題」では?

残念だが、「佐村河内事件」として歴史に記録されるのではないかしらん。
ハッキリいって(情状は別として)詐欺になるのではないかしらん?






2月6日(木)
久しぶりの新宿文化センターでOB合唱団の練習(「R.シュトラウス歌曲集」)。


2/6 5:49 夜明け前のカリタス短大前


2/7 11:58 日中のカリタス短大前(ほぼ同じ場所から)


6:58 ベローチェ開店前に並ぶ人々。



亀井宏『ドキュメント太平洋全史』を読むうち、(たしか)学生時代に読んだ児
島襄『太平洋戦争』(中公新書)を参照したくなった。私の「本棚」を必死に探
したが、出てこない。ブックオフに整理してしまったのかしらん。とうとう
amazonで買ってしまった。

児島襄『太平洋戦争』(中公新書)は、著者が

「太平洋戦争を断罪したり、弁護したり、判決する前に、なによりも戦争をして
戦争を語らしめることを心がけた」
と書いているように、不偏不党というか客観的な書き振りだ。

本書は終戦後20年目の昭和40(1965)年に書かれたが、その時点までの
太平洋戦争についての資料、文献、証言を多数参照している。「収穫逓減の
法則」ではないが、戦後20年までにかなりの事実が発掘されたのではない
かしらん。(ちなみに来年は終戦後70年となる)。

なお、本書は昭和41(1966)年に第20回毎日出版文化賞を受賞している。


児島襄『太平洋戦争』(中公新書)






スープストックお茶の水店で夕食後、丸善に立ち寄る。文春文庫の最新刊
半藤一利、加藤陽子『昭和史裁判』
--鋭く追及する半藤“検事” 情状酌量で切り返す加藤“弁護人”
『文語訳 新約聖書』(岩波文庫1月刊)
を購入する。


新宿文化センターはこの交差点を右折。正面のビルは日清食品。


この日はB2リハーサル室での練習。


発声練習



須田さんの指導の下、「R.シュトラウス歌曲集」の「5.ツェツィーリエ」の譜
読み練習と4/12オムニバスコンサート曲「憧れを知る者のみが」を練習。
ピアノ伴奏は永澤さん。





2月7日(金)
フレッシュアップ連続休暇初日。
午後1時から虎の門病院にて治験のための検診--身長、体重、心電図、
採血。この結果にパスすると、いよいよ治験本番となる。

採血は、いつもは4本だが、この日は11本も採られた。看護師さんも氏名、
生年月日に確認等、確認も慎重だ。

採血後、治験コーディネーターさんとの会話。
(私)「今日は11時ごろに食事をしましたが、大丈夫ですか?」
(コ)「えっ、(採血条件は)空腹時血糖なんです。私、言いませんでしたか?
   ま、しょうがないですね~」
(私)「これからも、採血時、食事は抜きでしょうか?」
(コ)「8時間ですから、朝食も抜きでお願いします」
(私)「ガ~ン」


その後、たまプラーザ有隣堂で早坂隆『松井石根と南京事件の真実』(文春
新書)を探すも、在庫切れで購入できず。代わりにといってはなんだが、

田原総一朗『私が伝えたい日本現代史1934-1960』(ポプラ新書)→2/9へ
赤羽礼子、石井宏『ホタル帰る』(草思社文庫)

を購入する。





都知事選候補者の演説 聴く人よりマスコミの方が多かった?


金刀比羅宮


虎の門病院


病院前 環状2号線の工事中


国道1号線 日本橋方面

2月8日(土)
大雪。ソチ冬季五輪開会式を視聴。



ロシア国歌 聖歌隊の男声合唱が本当にすばらしかった!!


日本選手団の入場 最後、ロシアの前だった。

中国選手団は正面で手を振って渋滞してしまった。あわてて係員が「は~い、
立ち止まらないでくださ~い。前へ、前へ」と誘導。これも「国民性」かしらん
(笑)。


ネトレプコが登場!オリンピック讃歌を熱唱。





オリンピック旗の掲揚。

懐かしい~、「ヤー、チャイカ」のテレシコワさん(現在76歳。1963年当時、
私は12歳だった。)が登場。よくご存命で。後列に指揮者ゲルギエフの顔も
見える。



2/8 9:40


2/8 9:40

東京は「16年ぶり」の大雪。夕方になっても降りやまない。「16年ぶり」がどん
どん更新されていくのではないかしらん?


2/8 15:07 吹雪である。
(高校の地理の先生は、雪風吹といった。「だって花吹雪もあるだろ(笑)」)

夕方、宅急便より電話。
「今日は、大雪で配達できなくて申し訳ありません。なるべく早くお届けします」
「はいはい、いつでもいいですよ」
(--amazonから本が届くことになっていた)。

2月9日(日) 
朝起きたら、「東京は45年ぶり。仙台では78年ぶりの大雪」というニュース
になっていた。
「45年ぶり」ということは昭和44年、私が高校を卒業した年であり、「78年
前」となると昭和11年、二・二六事件の年になる。

東京都知事選挙--細川さんは、下手すると3位になるんではないか、と
予想していたが・・・・・・。


2/9 7:30 早くも雪かきされていた。



よく積もった。




『永遠の0』(百田尚樹)→『祖父たちの零戦』(神立尚紀)→『ドキュメント太
平洋戦争全史』(亀井宏)→『太平洋戦争』(小島襄)と読み進めてきた。
どうしても(読むのは)ノンフィクションになってしまう(笑)。



これからは「近現代史」という、まじめな(?)カテゴリーになってしまうが・・・・・・

田原総一朗『私が伝えたい日本現代史1934-1960』(ポプラ新書)
(2/7購入。)を一気に読む。

「白い犬」状態である。--白い犬は、顔も白けりゃ、尾も白い。

<目次>
第1章 満州事変から2・26事件
第2章 日中戦争から三国同盟
第3章 日米和平交渉から開戦前夜
第4章 交渉決裂から真珠湾攻撃
第5章 ミッドウェー海戦からポツダム宣言受諾
第6章 バカヤロー発言で退陣した吉田茂の真実
第7章 昭和の妖怪と言われた岸信介のねらい

本書は「最新の(学界)研究」も踏まえ、ポイントがよく整理されている、という
印象である。田原さんは、いかにもジャーナリスティックであって、人によって
は好き嫌いがあるかもしれないが、けしてステロタイプではない。

以下、強く印象に残った部分を少し挙げると・・・・・・

p28リットン調査団の報告書は、
「日本政府が想像していたより、はるかに日本に有利な報告書でした。
ところが、各新聞はこのリットン報告書を大げさに批判し、攻撃しました。
・・・・・・本音では『もっと否定されると思っていたのに、意外に認められてよか
った』と思っているはずですが、それは紙面に出しません。日本のマスメディ
アの、こうした本音と建前の隔たりは、現在も同じです」
(田原さんのマスメディア批判??)

p57「日中戦争が始まっても、日本政府はこの西安事件の情報をつかんでい
ませんでした」
そうだったのか?知らなかった~?

p66(昭和12年の)「南京陥落と南京大虐殺はなぜ起こったか」は合点が行く
内容である。
「私は、日中戦争や太平洋戦争に詳しい歴史学者である秦郁彦の『4万人説』
に同意しています。4万人といえども許されようのない大虐殺です」
「南京大虐殺」でも「南京事件」でもいいが、秦郁彦氏推定4万人の「大虐殺」
(不法行為・戦争犯罪)があったのはマチガイナイだろう、と(私も)思っている。
(この点では、私は渡部昇一さんとは意見が違う)。

(注)秦郁彦『南京事件』(中公新書)は良書である。--日中戦争の南京攻略
  では一般住民に対して①略奪、②放火、③強姦および強姦殺害、④殺害
  を行ったと推定している。

松井石根(いわね)将軍は、東京裁判で、その(兵士の不法行為の)責任で
絞首刑となった。--松井石根は略奪等々を命令したわけではないようだ
が・・・・・・。

よく「A級戦犯」というが、「A級」とは「平和に対する罪」であって、松井の場合
は、「B級戦争犯罪」の罪に問われたので、「A級」ではない。したがって「B級
戦犯」というのが正しいだろう。

ちなみに「C級」は「人道に対する罪」であって、A級が最上位という意味では
ない。いってみれば、単なる(イ)、(ロ)、(ハ)なのである。

(注)第二次大戦後のニュルンベルグ裁判で、ナチスのホロコーストは「C人
  道に対する罪」で裁かれたが、南京事件/松井石根は「B通例の戦争
  犯罪」の対象となった。
  「ユダヤ人虐殺」と「南京大虐殺」、ナチスと日本ではこの点が違っている。
  <東京裁判では>、「C人道に対する罪」に該当する者はいなかった。


東京裁判はいろいろ問題があるが・・・・・・
簡単にいえば、日本が戦争に(初めて)負けて、ポツダム宣言の受諾→戦争
犯罪人の処罰→東京裁判→サンフランシスコ平和条約→東京裁判を受け入
れている。

この流れは、日本が負けたことに起因している。日本は戦争に負けたという
事実は重い。

「勝てば官軍、負ければ賊軍」という言葉があるが、日本が米国に勝ってい
たらどういうことになっていたのだろう。

p157アメリカ人は原子爆弾についてどう考えているのか
田原は元国務長官のキッシンジャーに聞いてみた。
(田)「アメリカが原子爆弾を投下して、多くの一般紙面を虐殺したことは、戦
 争犯罪ではないですか」
(キ)「もし原子爆弾を投下せず、日本が本土決戦を行っていたら、これの100
 倍以上の死者が出たはずで、あなたも生きていなかったのではないでしょ
 うか」
(田)しかし、本音は、ソ連が参戦する前に、強引にでも決着をつけたいという
 ものではなかったですか」
(キ)ソ連が本格的に参戦していれば、日本は朝鮮半島のようになっていたか
 もしれない。そのことをどう判断するのですか」
「私(田原)は返答につまってしまいました」
と書いている。
アメリカ人らしいシンプルな考え方かしらん。

p222「第7章 昭和の妖怪と言われた岸信介のねらい」--
読売新聞の渡邉恒雄さんも昨年亡くなった堤清二さんも日本共産党の党員
だったのは常識といっていいかもしれないが、伊藤隆、佐藤誠三郎両東大
名誉教授が東大時代に共産党に入党していたとは知らなかった!!

60年安保闘争とはなんだったのか?--小泉信三さんがいうまでもなく、
だれが見ても「安保改悪」ではなく、「安保改善」であるのに、どうして「安保
反対」になったのか?これは当時も一部でいわれていたことだが、昭和33
(1958)年の警職法(警察官職務執行法)改正問題に対する反発があった、
という本書の指摘には合点が行った。

p238岸は、太平洋戦争とそれに関する自分自身の責任について、どう考え
ていたのか?
「われわれは戦争に負けたことに対して日本国民と天皇陛下に責任はあっ
ても、アメリカに対しての責任はない。しかし勝者が敗者を罰するのだし、ど
んな法律のもとにわれわれを罰するか、負けたからには仕方がない。(後略)」
という考えだった。

今になって分かったことだが、加瀬みきさんが発掘した米国第二公文書館
で発見したシークレット文書では、昭和32(1958)年当時、米国に対して
「共産党員や少数の極左の人々を除き、日本人は基本的に反共である。安
定した生活を保障されれば極端な方向へ走る国ではない」
「日本人は感情、理性の双方とも、戦争は悪であるという心情に固まってい
る。日本人は誇張なしに、共産主義より戦争を嫌う気持ちのほうが強いとい
える。(中略)日本人には軍備は戦争の抑止力であり、最終的には平和の
ための政策に貢献するという議論はなかなか理解できない」(p256)
と岸信介は言っていたようだ。

本書によれば、岸信介の政治手法とは対極にいた宮澤喜一も、「岸さんの
頭のよさは抜群で、戦後の総理の中で抜きんでているのではないか」と語
っていたようだ。

吉田茂も岸信介も、当時は(日本では)評判が悪かったが、米国には言う
べきことは言っていたのではないかしらん。その時々において(神様は、
いや国民は民主主義制度を通じて)しかるべき人を選んだと言ってもいい
のかもしれない。



『私が伝えたい日本現代史1934-1960』
--ある程度の予備知識があれば、1日で読める。


昭和史関連本


○ショスタコーヴィチ交響曲第4番をゲルギエフで聴く。


[本稿は書き掛けです]


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4 コメント

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昭和史 (sho)
2014-02-11 19:50:51
高校の授業で日本史が必須になるのは賛成です。ただし授業が遅れて終戦までで終わると困りますが。先生も昭和史は教えにくいかもしれません。左寄り、右寄りで全く違いますから厄介です。
返信する
Re;昭和史 (katsura1125)
2014-02-12 07:30:18
shoさん、有難うございます。

歴史は、「事実」とその「見方」でしょうが、何を事実として取り上げるか?、それをどう解釈するか?に幅があり、感情論も加わって、政治問題に巻き込まれてしまうのでしょうか。

誰かが、「現代史は歴史ではない」といいましたが、もう30年ぐらいすると昭和史も歴史になるカナ?
返信する
映画も合唱も好きです (ちいすけ)
2014-02-20 05:53:35
「ちいさいおうち」早く観たいです。

クライネスが初めて全国優勝した頃、顧問の教授がハワイまで行かれ、演奏旅行の手はずを取って下さったのに、大半の学生が勉学優先で実現できなかったこと、偶然、山田監督のお嬢様が私の知り合いで、聴きたいと言って下さるので、毎年、クライネス演奏会にご招待していたことなど、懐かしく思い出されました。
別の監督ですが、「コクリコ坂から」も、まるで当時の東工大サークル棟そっくりな建物、坂は将にフェリスの坂だ、とと観た瞬間感じました。
(後で確認しましたら、やはりモデルはそうです)
返信する
Re;映画も合唱も・・・・・・ (katsura1125)
2014-02-22 05:40:20
ちいすけサン、コメント有難うございます。
コール・クライネスのOBの方でしょうか。
また聴きに伺います。
当ブログにも気楽にお立ち寄りください。
返信する

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