人生ブンダバー

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11/18 比叡山~近江路を歩く(8) 志賀院門跡

2021-11-30 05:00:00 | 旅行

11月18日(木)、鶴喜そばの昼食を終え、徒歩にて坂本巡りへ。

まずは公人屋敷(旧岡本邸)。公人(くにん)とは、延暦寺の僧
侶でありながら、妻帯と名字帯刀を許された存在で、寺務を務め
ていた、いわば職員だ。(→こちら)。


次いで、坂本観光案内所へ。ここで東京に娘さんがおられるとい
う婦人に、観光案内図で親切に教えていただく。
夕方5時まで重いリュックを預かってもらう(代金400円)。


続いて、ぜひ見ておきたい滋賀院門跡へ。「格式高い天台座主の
隠居所」--古くは慈鎮和尚・慈円の里坊であり、また延暦寺の
慈眼大師天海が後陽成天皇より北白川の法勝寺の高閣を賜り、移
築再建した(1615)ことに始まる。

先日、11月22日、第257世天台座主の森川宏映氏(京大卒、96)
が亡くなられた際は、ここで通夜、密葬が営まれた。
森川氏は、今年6月、延暦寺で営まれた最澄1200年大遠忌の大導
師を務めた人。



<ご参考>
当時、日吉大社(追って参拝)と比叡山延暦寺は、神仏習合で一
体だった。
坂本は、日吉大社・比叡山延暦寺の門前町であり、また物流拠点
でもあり、延暦寺を経済的に支えていたという。
また、比叡山の隠居した僧侶が坂本の里坊で暮らしていた。


司馬遼太郎『街道をゆく』より 叡山焼打について
 信長に対する当面の打撃力としては、越前の朝倉勢と北近江の浅井勢があり、
 前年、この連合軍は近江姉川の戦いで信長・家康にやぶれたとはいえ、なお余
 力をのこし、その機動力は京都をおびやかすに足るほどの弾力をもっていた。

 ここに、「叡山」というものが、軍事的価値をもって登場する。歴史的に、叡
 山は政治的存在であり、武力ももっていた。
 --叡山に矢をむければ神仏がたたる。

 という気分が一般にあり、山法師たちはそれを無上の強みにしてあばれたので
 ある。

 九月、信長は・・・・・・坂本から叡山の代表をよび、「わしの側に味方せよ」と要
 求した。

 歴世、叡山の立場は強かった。・・・・・・叡山代表は否とも応ともいわなかった。

 信長はついに妥協し、勝負の見とどけ役--中立--になりなさい、と・・・・・・。

 「味方するか、中立になるか、どちらでもよいが、もしこの両条にそむくにお
 いては、叡山の根本中堂、さらには日吉大社の三王二十一社みな焼き払ってし
 まう、よいか」
 と信長はいった。これに対し、使者は態度をはっきりせぬまま山にかえった。

いずれにしても、信長と比叡山は大きく対立し、信長の比叡山焼
き討ちが始まる。

(参照)「比叡山はなぜ、織田信長に焼き討ちされたのか?」→
こちら。(大変参考になる。当時の延暦寺は大変堕落していた
という)。

織田信長と延暦寺焼き討ち450年については→こちらもご参照。


<関連年表>
1570 (6)姉川の戦い/(9)本願寺光佐、織田信長に対抗/(12)信長、
 勅を奉じて朝倉・浅井と和す
1571 (5)信長、伊勢長島の一向一揆を討つ/(9)信長、比叡山延暦
 寺焼き討ち
1572 (1)本願寺光佐、武田信玄と結び、信長を脅かす
1573 (8)信長、朝倉・浅井を滅ぼす


なお、「比叡山焼き討ち」は織田信長によるものが有名だが、延
暦寺は、その他にも足利義教による比叡山攻撃と根本中堂の自焼
(1435)、細川政元による焼き討ち(1499)が知られている。

一方、延暦寺がたびたび園城寺(三井寺)を焼き討ちする事件も
起きている(1120、1140、1163、1214、1264、1319、1433など)。


歴史について思う所は、「そういう時代だった」ということかも
しれない。


ちなみに、白川法皇(1053-1129)が「わが心にかなわぬもの」
として嘆いた「加茂河の水、双六の賽(さい)、山法師」の「山
法師」とは、都に強訴を繰り返した延暦寺の僧兵のことである。



司馬遼太郎『街道をゆく--叡山の書道』、『国盗り物語』


13:29 鶴喜そばを終えて・・・・・・


13:31 鶴喜そば近く、坂本観光案内所 後ほど立ち寄る。


13:34


13:34 京阪 坂本比叡山口駅


13:35 伝統的建造物群保存地区


13:35


13:37


13:37 日吉御田神社


13:38 公人(くにん)屋敷(旧岡本邸)


13:38


13:39 入口・拝観受付


13:41


13:42


13:42 中庭


13:43


13:43


13:44


13:45


13:46 公人屋敷全景


13:48 坂本観光案内所へ


13:58 案内所で親切に教えていただく。

「どちらからですか~」
「あ、はい、横浜から」
「いい所ですね~。娘が東京にいるので、時々横浜にも・・・・・・」


14:12 最澄生誕の地に建つ生源寺 参拝せず、先を急ぐ。


14:12 比叡山延暦寺の門前町 坂本


14:13


14:14 
紅葉を撮影しながらやってくるカメラマニアから
「このあたりに蕎麦屋さんがあります?」
「はい、2軒ありますのでご注意を」


14:14


14:15


14:16


14:16 参道、バス道路を左折


14:17


14:18


14:18


14:18


14:19 滋賀院門跡


14:19 こちらも、無論、穴太衆積み


14:20


14:20

受付で、(一眼レフを見て)
「仏像以外は撮影していただいて結構です。仏像を撮ったら、ブ
ツゾウ~」


14:21


14:24 天海の鎧(儀式用)


14:24


14:25


14:26


14:26


14:29


14:30 小堀遠州作の庭園


14:31


14:32


14:35


14:36


14:37


14:38


14:39 参道、バス道路へ戻る。


14:39


14:39


14:40 一路日吉大社へ


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