人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

11/18 比叡山~近江路を歩く(9) 日吉大社

2021-12-01 05:00:00 | 旅行

(前回、前々回、もっと前より続き)
11月18日(木)午後、滋賀院門跡を終え、いよいよ日吉大社へ。
いつ頃からなのか、紅葉の名所だ。

日吉大社は広大だ。時間に追われつつ、足早にお参りする。


再び、司馬遼太郎『街道をゆく--叡山の諸道--』~日吉の神
輿~より
 最澄が入山したころの日吉の神域には、すでに小比叡神と大比叡神が合祀され
 ていたと想像する。・・・・・・最澄の死後、比叡山延暦寺が、生前に最澄が決して
 予想しなかったほどの栄を示すとともに、日吉大社も山上の仏徒によって繁昌
 した。その繁昌によって神の数がさらにふえた。・・・・・・

 このため、これらの神々を総称する呼称が必要となった。というよりも一神格
 として見るようになり、いつのほどかそのための「名前」ができた。
 「山王」
 である。日吉山王とよぶ場合もある。
 ふつうは、山王大権現という。
 「比叡山の守り社(やしろ)である日吉の神は山王大権現と申しあげる」
 というのが、明治以前までの言い方であった。・・・・・・
 本来、日吉山王大権現である。この神仏習合の言い方のほうがはるかに霊験あ
 りげにきこえる。・・・・・・
 
 平安末期、叡山の僧兵が日吉山王大権現の神輿(みこし)をかつぎだしては大
 挙京に入り、宮廷に対し、らちもないことを強訴(ごうそ)するというのが、
 一種の型のようなものになっていた。・・・・・・
 最澄が、叡山に一寺をたてて、
 「我立杣(そま)に冥加(めか)あらせ給え」

 と仏たちに加護を祈ったときには、そういう連中が出て来ようとは思いもよら
 なかったろう。



日吉大社を終え、明智光秀ゆかりの西教寺へ。
大社の守衛さんに
「どうやって行ったらいいでしょう?」
と訊くと
「バスだと本数が少ないから。この方角で案内に沿って歩くと15
分ほどですよ」
「有難うございます」
15分といえば1kmほどだが、
初めての道でもあり、やや疲れ気味
ということもあり、結構長く感じた。


しかるに西教寺まで来ると、5時までに坂本観光案内所まで戻る
バスが、3時42分発しかない。
やむを得ず、西教寺は、いつになるか分からないが、またこの次
の機会ということで諦める。






14:43


14:44


14:45


14:46


14:46 このあたりから紅葉が一段と


14:47


14:49 山王鳥居(県指定文化財)


14:49


14:50


14:50 「神猿」といって、大昔から猿を飼っている。

司馬遼太郎『街道をゆく--叡山の諸道--』朝日文庫p56にも
出てくる。


14:51 白山宮


14:55


14:56


14:56 西本宮本殿(国宝)


14:56


14:57


14:57 宇佐宮本殿(重要文化財)


14:58


14:59 白山姫神社本殿(重要文化財)


14:59


15:00


15:00


15:01 
山王神輿七基 平安時代、強訴(ごうそ)で有名。現存のものは
桃山時代の作。


15:01


15:02


15:02


15:03


15:04


15:05


15:05 樹下神社拝殿(重要文化財)


15:05 樹下宮本殿(重要文化財)


15:06 東本宮本殿(国宝)


15:06 東本宮本殿


15:07


15:07 東本宮拝殿


15:09


15:11 守衛さんに道順を確認。


15:11


15:11


15:12


15:12


15:13


15:14


15:15 穴太衆積みの石垣


15:15 高台より琵琶湖


15:17


15:19


15:19 八講堂千体地蔵尊


15:20


15:22


15:25


15:25




15:26


15:27


15:27 目の前のバス停


15:28


15:29


15:29


15:32


15:35


15:36 西教寺の参道(望遠にて) あと数分でバスが来る。


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