11月27日(土)、ワグネル男声合唱団の第135回定期演奏会を聴いた。ワグネルの
定期演奏会は永年福岡国際マラソンと同じ頃に開催されていた。今年でいえば、福
岡マラソンは12月5日(日)である。いつからか--昨年からだったかしらん--開
催が一週間早まった。一週間違うと、演奏会往復時の冷え込みの度合いも違うよう
だ。
この20年、ワグネルの定期演奏会はほとんど聴いている。平成18(2006)年だけは
残念ながらインターフェロンの副作用で行けなかった。
Ⅰ.Reynaldo Hahnによる『恍惚のとき』(指揮;佐藤正浩、ピアノ;前田勝則)
Ⅱ.男声合唱とピアノのための『夢の意味』(指揮;川口亮、ピアノ;松岡直子)
--休憩--
Ⅲ.P.トスティによる『或る愛の物語』(指揮;畑中良輔、ピアノ;久邇之宜)
Ⅳ.男声合唱とピアノのための『くちびるに歌を』
(指揮;佐藤正浩、ピアノ;前田勝則)
Ⅰ.Reynaldo Hahnによる『恍惚のとき』(指揮;佐藤正浩、ピアノ;前田勝則)
レイナルド・アーン(1875~1947)は19世紀末から第一次世界大戦のサロン音楽と
して歌われた。125曲もの歌曲を作曲しているが、そのほとんどは二十歳前の作品だ
というから、やはり天才である。
レイナルド・アーンを私はワグネルで知ったが、音大の学生は当然のものとして知
っているのだろうか。私が持っている「アーン歌曲集」のCDは、スーザン・グラ
ハムが歌っているが、彼女がアーンを知ったのは35歳頃だそうだ。
さて佐藤先生は知る人ぞ知るフランスのリヨン国立歌劇場のコレペティトールを経
験されている。佐藤先生仕込みのフランス語がよかった。四連(--私が聴いたの
は早慶交歓だが。)の時よりさらに言葉にも曲にもなじんでいた。
Ⅱ.男声合唱とピアノのための『夢の意味』(指揮;川口亮、ピアノ;松岡直子)
早稲田が2年前の定演でとりあげた曲(オリジナルは混声。)である。老荘思想
(--昔、少しばかり憧れたことがあった。)が流れる、林望の詩のせいか、上田
真樹さんの音楽のせいか、「気持ちの発露」が難しい曲だが、学生指揮者の川口さ
んはよく振っていた。指揮もスッキリして、うまくなったようだ。すべてを振らず、
テンポをピアニストに任せている部分があった。あえていえばこの会場ではもう少
し子音を立ててもよかったかな。
--休憩--
Ⅲ.P.トスティによる『或る愛の物語』(指揮;畑中良輔、ピアノ;久邇之宜)
畑中先生が久邇先生に手をひかれてゆっくり登場すると大変な拍手となった。指揮
台でマイクを取られ「えー、こんばんは。ご覧のように2週間前までは車椅子・・・・・・。
今日は失恋のせつない想いを物語にしてみました。(中略)座って振りますよ、ゴ
メンナサイ」。
クレンペラーのように座った指揮から音楽があふれ、私の目には涙がにじんだ。合
唱は、畑中先生の歌唱『ふるみち』のごとく伸び縮みする、新ロマン主義の棒によ
く付いていた。(--むろん畑中先生の音楽とクレンペラーのそれとは違う。)
半数は一年生という編成で、むろん彼らには発声の「未熟さ」はあるだろうが、音
楽を聴いている時、それはさほどは気にならなかった。(後で聞いたところでは、
畑中先生の練習は5回だけだったそうだ。久邇先生によれば、最初の練習ではワグ
ネルの声にならず「ワグ」程度だったという。))
当ステージのアンコールは、チャイコフスキーの『ただ憧れを知る者のみが』
(ゲーテ原詩、1869年作曲)が歌われた。こちら(アンコール)はややテナー系の
生声が目立った、かな。
Ⅳ.男声合唱とピアノのための『くちびるに歌を』
(指揮;佐藤正浩、ピアノ;前田勝則)
独語と日本語の混じるおもしろいが難しい曲。佐藤先生のお言葉を借りれば、
「『くちびるに歌を』は近年最も人気のある信長作品のなかでも、とりわけロマン
ティックで歌いごたえがある。憧憬の想いや願い、祈りが深々と歌われる」曲であ
る。「O」、「U」の長母音等々独語の語感が難しい。
佐藤先生は指揮棒を持たず、とくに終曲の「くちびるに歌を」に見るように大きく
振った。--この曲ではベースがなかなかよかった。佐藤先生の棒(指揮ぶり)は
この数年で大きく変ったのではないだろうか。いい意味で随分大胆になったように
私は感じる。
アンコールは、佐藤先生が信長さんの『きみ歌えよ』。学指揮の川口さんが木下
(牧子)さんの『鴎』(「ついに自由は彼らのものだ~」)だった。(--彼らとは
4年生??)
ステージストームでは、『若き血』、『慶應讃歌』、『丘の上』。(『丘の上』の
イントロは相変わらず?うまくない(笑)。)『我ぞ覇者』はやめてよかった!
会場の昭和女子大学人見記念講堂
プログラム
畑中先生のステージ 中央に椅子が置かれている
ステージストーム カレソンを歌う現役諸君 だいぶ人数が増えました
打ち上げパーティでは畑中先生にご指導50年記念の盾が贈呈された
ブル先生の右隣はダグ先生--お若い
ダグ先生曰く「私はブル先生の一年あとです。来年、何か下さいネ。盾でなくても結
構です」。
写真後ろ向きは左から松岡さん、綱川先生、佐藤先生、前田先生
レセプションに来られた桐生郁子先生とお話した--「私の母は第六なんです」、
「あら、お母様によろしく」。
塩澤部長(経済学部教授)のスピーチ 今年からワグネルの部長に就任された
「私の友人は高校まで慶應で学んだ慶應ボーイでした。彼は、大学では音楽をやり
たいと芸大に進みました。慶應ボーイからゲイ・ボーイになりました」(私、笑い
過ぎ)
打ち上げパーティー 談笑風景
* * * *
母(大正12年生まれ、87歳)は、現在横浜市緑区の病院でお世話になっている。8月
5日に転院した時は銀杏の葉も青々としていた。→こちら
病院には毎週見舞いに行っているが、季節の移り変わりははやい。
母の病院へ行く途中の銀杏並木 11月20日 真っ黄色になった
母の病室から(1) 11月20日
母の病室から(2) 12月4日 上記(1)と同じアングル
家族総出で見舞いに(甲府から娘も駆けつけた)
母からは「ありがとう」という反応があり、よかった。
12月4日 鴨居駅から 富士山が見えた
定期演奏会は永年福岡国際マラソンと同じ頃に開催されていた。今年でいえば、福
岡マラソンは12月5日(日)である。いつからか--昨年からだったかしらん--開
催が一週間早まった。一週間違うと、演奏会往復時の冷え込みの度合いも違うよう
だ。
この20年、ワグネルの定期演奏会はほとんど聴いている。平成18(2006)年だけは
残念ながらインターフェロンの副作用で行けなかった。
Ⅰ.Reynaldo Hahnによる『恍惚のとき』(指揮;佐藤正浩、ピアノ;前田勝則)
Ⅱ.男声合唱とピアノのための『夢の意味』(指揮;川口亮、ピアノ;松岡直子)
--休憩--
Ⅲ.P.トスティによる『或る愛の物語』(指揮;畑中良輔、ピアノ;久邇之宜)
Ⅳ.男声合唱とピアノのための『くちびるに歌を』
(指揮;佐藤正浩、ピアノ;前田勝則)
Ⅰ.Reynaldo Hahnによる『恍惚のとき』(指揮;佐藤正浩、ピアノ;前田勝則)
レイナルド・アーン(1875~1947)は19世紀末から第一次世界大戦のサロン音楽と
して歌われた。125曲もの歌曲を作曲しているが、そのほとんどは二十歳前の作品だ
というから、やはり天才である。
レイナルド・アーンを私はワグネルで知ったが、音大の学生は当然のものとして知
っているのだろうか。私が持っている「アーン歌曲集」のCDは、スーザン・グラ
ハムが歌っているが、彼女がアーンを知ったのは35歳頃だそうだ。
さて佐藤先生は知る人ぞ知るフランスのリヨン国立歌劇場のコレペティトールを経
験されている。佐藤先生仕込みのフランス語がよかった。四連(--私が聴いたの
は早慶交歓だが。)の時よりさらに言葉にも曲にもなじんでいた。
Ⅱ.男声合唱とピアノのための『夢の意味』(指揮;川口亮、ピアノ;松岡直子)
早稲田が2年前の定演でとりあげた曲(オリジナルは混声。)である。老荘思想
(--昔、少しばかり憧れたことがあった。)が流れる、林望の詩のせいか、上田
真樹さんの音楽のせいか、「気持ちの発露」が難しい曲だが、学生指揮者の川口さ
んはよく振っていた。指揮もスッキリして、うまくなったようだ。すべてを振らず、
テンポをピアニストに任せている部分があった。あえていえばこの会場ではもう少
し子音を立ててもよかったかな。
--休憩--
Ⅲ.P.トスティによる『或る愛の物語』(指揮;畑中良輔、ピアノ;久邇之宜)
畑中先生が久邇先生に手をひかれてゆっくり登場すると大変な拍手となった。指揮
台でマイクを取られ「えー、こんばんは。ご覧のように2週間前までは車椅子・・・・・・。
今日は失恋のせつない想いを物語にしてみました。(中略)座って振りますよ、ゴ
メンナサイ」。
クレンペラーのように座った指揮から音楽があふれ、私の目には涙がにじんだ。合
唱は、畑中先生の歌唱『ふるみち』のごとく伸び縮みする、新ロマン主義の棒によ
く付いていた。(--むろん畑中先生の音楽とクレンペラーのそれとは違う。)
半数は一年生という編成で、むろん彼らには発声の「未熟さ」はあるだろうが、音
楽を聴いている時、それはさほどは気にならなかった。(後で聞いたところでは、
畑中先生の練習は5回だけだったそうだ。久邇先生によれば、最初の練習ではワグ
ネルの声にならず「ワグ」程度だったという。))
当ステージのアンコールは、チャイコフスキーの『ただ憧れを知る者のみが』
(ゲーテ原詩、1869年作曲)が歌われた。こちら(アンコール)はややテナー系の
生声が目立った、かな。
Ⅳ.男声合唱とピアノのための『くちびるに歌を』
(指揮;佐藤正浩、ピアノ;前田勝則)
独語と日本語の混じるおもしろいが難しい曲。佐藤先生のお言葉を借りれば、
「『くちびるに歌を』は近年最も人気のある信長作品のなかでも、とりわけロマン
ティックで歌いごたえがある。憧憬の想いや願い、祈りが深々と歌われる」曲であ
る。「O」、「U」の長母音等々独語の語感が難しい。
佐藤先生は指揮棒を持たず、とくに終曲の「くちびるに歌を」に見るように大きく
振った。--この曲ではベースがなかなかよかった。佐藤先生の棒(指揮ぶり)は
この数年で大きく変ったのではないだろうか。いい意味で随分大胆になったように
私は感じる。
アンコールは、佐藤先生が信長さんの『きみ歌えよ』。学指揮の川口さんが木下
(牧子)さんの『鴎』(「ついに自由は彼らのものだ~」)だった。(--彼らとは
4年生??)
ステージストームでは、『若き血』、『慶應讃歌』、『丘の上』。(『丘の上』の
イントロは相変わらず?うまくない(笑)。)『我ぞ覇者』はやめてよかった!
会場の昭和女子大学人見記念講堂
プログラム
畑中先生のステージ 中央に椅子が置かれている
ステージストーム カレソンを歌う現役諸君 だいぶ人数が増えました
打ち上げパーティでは畑中先生にご指導50年記念の盾が贈呈された
ブル先生の右隣はダグ先生--お若い
ダグ先生曰く「私はブル先生の一年あとです。来年、何か下さいネ。盾でなくても結
構です」。
写真後ろ向きは左から松岡さん、綱川先生、佐藤先生、前田先生
レセプションに来られた桐生郁子先生とお話した--「私の母は第六なんです」、
「あら、お母様によろしく」。
塩澤部長(経済学部教授)のスピーチ 今年からワグネルの部長に就任された
「私の友人は高校まで慶應で学んだ慶應ボーイでした。彼は、大学では音楽をやり
たいと芸大に進みました。慶應ボーイからゲイ・ボーイになりました」(私、笑い
過ぎ)
打ち上げパーティー 談笑風景
* * * *
母(大正12年生まれ、87歳)は、現在横浜市緑区の病院でお世話になっている。8月
5日に転院した時は銀杏の葉も青々としていた。→こちら
病院には毎週見舞いに行っているが、季節の移り変わりははやい。
母の病院へ行く途中の銀杏並木 11月20日 真っ黄色になった
母の病室から(1) 11月20日
母の病室から(2) 12月4日 上記(1)と同じアングル
家族総出で見舞いに(甲府から娘も駆けつけた)
母からは「ありがとう」という反応があり、よかった。
12月4日 鴨居駅から 富士山が見えた
作曲者にもブームがありますね~。
それにしても伊東先生も油が乗っていますね~。本番前の録音とはまるでカラヤンのようです。
ジョバンニ・レコードからCDが発売されています。
その時伊東恵司さんの指揮で小生も歌いましたが、当日は信長先生も見えて結構細かい指導をされたのを覚えています。本番の前に録音用の演奏をするというからすごいです。伊東さんはかなりの合唱曲をCD化しています。昔の福永先生のようです。
ドイツ語と日本語の交差というのも面白いのですが、最後のくちびるに歌を、盛り上がりの部分はかなり難易度が高かったです。やはり信長作品の最高傑作に違いないと思います。
くちびるに歌を持て 心に太陽を持て ひとのためにも言葉を持て そしてこう語りかけよう 嵐が吹こうと 吹雪が来ようと 地上が争いで満たされようと くちびるに歌を持て 心に太陽を持て ひとのためにも言葉を持て