9月22日(金)、佐藤元英先生による中央大学クレセント・アカ
デミー「日米の新史料で解明する日米交渉・真珠湾攻撃の真実」
秋期講座第1回が開かれた。
本来、第1回は9月8日の予定だったが、台風で順延となったもの
だ。
今回は、1921年(ワシントン会議)~1941年(日米交渉)の整理
だ。講座の新史料も登場。
<関連年表>
1904 日露戦争(~05ポーツマス条約) →「満蒙権益」の誕生
1911 辛亥革命
1912 中華民国成立
1914 第一次世界大戦(~18)
1915 中国へ21カ条要求
1917 ロシア革命
1919 ヴェルサイユ条約
1920 国際連盟加入
1921 ワシントン会議
1922 ワシントン軍縮条約
1925 宇垣軍縮・・・軍部蔑視の風潮
1926 蒋介石北伐開始
1928 中国、革命外交
1928 パリ不戦条約調印
1930 ロンドン軍縮会議
1931 満洲事変
1932 満洲国建国
1933 国際連盟脱退
1937 盧溝橋事件~日中戦争
1940 日独伊三国同盟
1941 日米交渉
1941 真珠湾攻撃~太平洋戦争
<ざっくりとした個人的な仮のMemo>
明治期には、不平等条約下にありながら、「文明開化」、「殖産
興業」、「富国強兵」を推し進めてきた。
→1904-05日露戦争における奉天会戦、日本海海戦の勝利。
一方、世界では「激動の世界」へ。
1911辛亥革命
1912中華民国
1914(-18)第一次世界大戦
1917ロシア革命→ソ連
1918ヴェルサイユ条約→ヨーロッパ諸国の「民族自決」
第一次世界大戦後の世界は、一転して「軍縮の時代」に。
その後、日本国内では、中国・ソ連への対応に対して、大変単純
に言えば「富国強兵派」(軍部など)と「国際協調・軍縮派」の
戦いに。
「富国強兵派」は、従来の延長線から「強兵による総力戦」に。
--「富国強兵派」といえど「論理」(リクツ)は十分考えていたが。
また中国問題には「アジア主義」的考えから中国と提携し、(軍
事力を使ってでも)欧米列強を駆逐しようという動きも。
--この論法で行くと、「日本は、東亜新秩序を作ろうとしたのであって、中国
を侵略しようとしたのではない」ということになってしまう。
「軍事」高>「政治・外交」低の時代に??
戦争による勝敗が決着しても、いわば「富国強兵派」の考え、対応は正しかった
というようなことを書いている人もいるが・・・・・・。
しかるに現在、世界はBRICS(あるいは拡大版BRICS)の台頭など
によって「新しい世界」へ移行しつつあるのかもしれない。
というわけで「国連改革」が求められている?
終了後は、新百合ヶ丘の「つづらお」にて、久しぶりに「昭和史
研究会」を開催。
7種類の日本酒(3.5合?)と酒の肴に舌鼓を打った。
改めて「回顧録」というものは100%正しいとは必ずしも言えな
い(ーーjustify やオモイチガイ)ということで意見が一致?
9:33 7回目のワクチン接種を予約
11:17 新百合ヶ丘駅行
11:46
11:48
11:48
12:04 小田急多摩センター
12:06
12:08
12:14 折り返し
12:22 中央大学・明星大学
12:23
12:24 久しぶりに中央大学へ
12:25
12:29
12:32
15:06 アクティブシニアフィットネス
15:07
15:08
15:24 小田急多摩センター
15:38 新百合ヶ丘着
15:45
15:47 @6千円
15:49 サービス
15:53
16:04 各地の銘酒が次々と・・・・・・
16:09
16:24
17:00
17:11
17:18
17:38
17:47
17:47
18:29
18:31
18:34
19:13 3時間も飲んでいた。
19:18
19:20
19:28
19:55 あざみ野まで乗り越して(涙)、Uターン
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