最近まで知らなかったが、ちくま文庫「吉田秀和コレクション」として、昨年10月
に『世界の演奏家』が出版された。本書は文庫のためのオリジナル編集である。
弦楽奏者、弦楽四重奏団、声楽家--47人・組を取り上げている。『世界の指揮
者』、『世界のピアニスト』に続くものである。
「これは過去の多くの名盤と比較しても特筆すべきブラームス全集の傑作といえよ
う」(ブラームス交響曲全集--K.ザンデルリンク/ベルリン交響楽団)
「これはムラヴィンスキー、アーベントロート、メングルベルク以来、最も感動し
た《悲愴》である」(チャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》--F.フリッチャイ
/ベルリン放送交響楽団)
これは宇野功芳さんの「月評」の書き出しである。宇野さんが絶賛するときは、往
々にしてこのような書き方をする。
しかし、吉田さんは、「月評」ではないにしても、まずこのような書き方はしない。
より多面的といえばいいのかしらん、場合によっては寄り道をしながら思索を重ね
ていく。吉田さんを読んでいると、吉田さんとともに読み手である私もともに思索
していることに気づく。
例えば次の段落--
二度の世界大戦を体験して、ドイツ人もオーストリア人もずいぶん変わった。
いや、ドイツ人の変化は、ニーチェがいち早く指摘していた十九世紀の最後の四
半世紀以来、着々と進んでいたというのが正確なのかもしれない。
とにかく、今度の大戦のあとでは、ドイツ人にとっては「ロマンティック」と
呼ばれるのは、非現実的な阿保といわれるのと同じくらいの侮辱だった。彼らの
心の中には、ロマンティシズムに対するアパシー(*)が強烈に生まれていた。
そういうことのすべてを無視して、現代のドイツ人音楽家の演奏するベートー
ヴェンや、ヴァーグナーがロマンティックでないとかなんとか、外国人が勝手な
非難をするのは、的外れというものである。(以下略)(本書p384「フィッシャー
=ディースカウ」)
を読むと、こんなことを書いてくれた人はなく、私は「なるほどな~」、「そうだ
ったのか!」と教えられるのである。
(*)アパシー(apathy);無感動。無関心。
なお、吉田秀和氏は大正2(1913)年生まれ。今年、9月で98歳になられる。『レコ
ード芸術』の「之を楽しむ者に如かず」を連載中。平成21(2009)年2月12日の「畑
中先生の芸術院会員をお祝いする会」には元気な姿を見せられ、祝辞を述べてお
られた。
* * * *
今年の花粉症は例年の10倍となりそうだという。私には長年花粉アレルギーがなか
ったが、4、5年前から花粉症の症状が出た。風邪はほとんど治ったが、早めの花粉
症対策が肝心とばかり、駅前の医院に行ってきた。ところが、風邪の季節。医院が
大変混んでいたので、待ち時間を利用して近所の図書館へ。
図書館では『音楽の友』2月号から畑中先生の「ブル先生の日々是好日~荻窪ラプ
ソディー~その22 《三島哀悼その1》」(→こちら(前回追補版)もご参照)と野平一
郎さんの「作曲家からみたピアノ進化論14」をコピーしてきた。野平さんの「移ろ
いやすく不安に揺れ動くロマン派の旋律」は勉強になった。
* * * *
1月29日(土)午後8時NHK衛星第2「森山良子・私のうたの道」を見た。森山良子
は私より3歳ばかり年上だが、よく声が出るな~、きっとボイストレーニングを受け
ているのではないかしらんと日頃から思っていた。発声練習の様子も放送されてい
たが、その先生が坂上昌子先生(木下保先生のお嬢さん)とは知らなかった!「ビッ
クリしたなぁ、もう~!」(三波伸介を知ってる?)である。
ドキュメンタリーの中では「ドナドナ」、「この広い野原いっぱい」、「禁じられ
た恋」、「さとうきび畑」、「涙そうそう」が歌われていたが、中では「さとうき
び畑」のライブが圧巻だった。
なお、木下先生といえば、近々日本伝統文化振興財団から「木下保の藝術/信時潔
&團伊玖磨歌曲集」(2,800円)というCDが発売になるようだ。(「レコード芸
術」1月号の新譜情報に小さく載っていた。)
* * * *
カタール時間29日、日本が豪州を1対0で破り、04年中国大会以来2大会ぶりにア
ジア・カップ・サッカーに優勝した。日本時間では真夜中となるため、生を観てい
ないし、コーナーキック、ゴールキック、フリーキックなどのデータも見ていない
ので、どちらが優勢だったか分からないが、GK川島のファインセーブあり、李の
ボレーシュートあり、勝ちにつながった。1点差以上に僅差での勝利といえるのか
もしれない。勝敗はちょっとの差であっても、勝ちは勝ち、負けは負けというのが
厳しい現実である。
なお、韓国も順調に世代交代が進んでいるようだ。韓国は、日本にとっては依然と
してこわい存在だろう。
に『世界の演奏家』が出版された。本書は文庫のためのオリジナル編集である。
弦楽奏者、弦楽四重奏団、声楽家--47人・組を取り上げている。『世界の指揮
者』、『世界のピアニスト』に続くものである。
「これは過去の多くの名盤と比較しても特筆すべきブラームス全集の傑作といえよ
う」(ブラームス交響曲全集--K.ザンデルリンク/ベルリン交響楽団)
「これはムラヴィンスキー、アーベントロート、メングルベルク以来、最も感動し
た《悲愴》である」(チャイコフスキー交響曲第6番《悲愴》--F.フリッチャイ
/ベルリン放送交響楽団)
これは宇野功芳さんの「月評」の書き出しである。宇野さんが絶賛するときは、往
々にしてこのような書き方をする。
しかし、吉田さんは、「月評」ではないにしても、まずこのような書き方はしない。
より多面的といえばいいのかしらん、場合によっては寄り道をしながら思索を重ね
ていく。吉田さんを読んでいると、吉田さんとともに読み手である私もともに思索
していることに気づく。
例えば次の段落--
二度の世界大戦を体験して、ドイツ人もオーストリア人もずいぶん変わった。
いや、ドイツ人の変化は、ニーチェがいち早く指摘していた十九世紀の最後の四
半世紀以来、着々と進んでいたというのが正確なのかもしれない。
とにかく、今度の大戦のあとでは、ドイツ人にとっては「ロマンティック」と
呼ばれるのは、非現実的な阿保といわれるのと同じくらいの侮辱だった。彼らの
心の中には、ロマンティシズムに対するアパシー(*)が強烈に生まれていた。
そういうことのすべてを無視して、現代のドイツ人音楽家の演奏するベートー
ヴェンや、ヴァーグナーがロマンティックでないとかなんとか、外国人が勝手な
非難をするのは、的外れというものである。(以下略)(本書p384「フィッシャー
=ディースカウ」)
を読むと、こんなことを書いてくれた人はなく、私は「なるほどな~」、「そうだ
ったのか!」と教えられるのである。
(*)アパシー(apathy);無感動。無関心。
なお、吉田秀和氏は大正2(1913)年生まれ。今年、9月で98歳になられる。『レコ
ード芸術』の「之を楽しむ者に如かず」を連載中。平成21(2009)年2月12日の「畑
中先生の芸術院会員をお祝いする会」には元気な姿を見せられ、祝辞を述べてお
られた。
* * * *
今年の花粉症は例年の10倍となりそうだという。私には長年花粉アレルギーがなか
ったが、4、5年前から花粉症の症状が出た。風邪はほとんど治ったが、早めの花粉
症対策が肝心とばかり、駅前の医院に行ってきた。ところが、風邪の季節。医院が
大変混んでいたので、待ち時間を利用して近所の図書館へ。
図書館では『音楽の友』2月号から畑中先生の「ブル先生の日々是好日~荻窪ラプ
ソディー~その22 《三島哀悼その1》」(→こちら(前回追補版)もご参照)と野平一
郎さんの「作曲家からみたピアノ進化論14」をコピーしてきた。野平さんの「移ろ
いやすく不安に揺れ動くロマン派の旋律」は勉強になった。
* * * *
1月29日(土)午後8時NHK衛星第2「森山良子・私のうたの道」を見た。森山良子
は私より3歳ばかり年上だが、よく声が出るな~、きっとボイストレーニングを受け
ているのではないかしらんと日頃から思っていた。発声練習の様子も放送されてい
たが、その先生が坂上昌子先生(木下保先生のお嬢さん)とは知らなかった!「ビッ
クリしたなぁ、もう~!」(三波伸介を知ってる?)である。
ドキュメンタリーの中では「ドナドナ」、「この広い野原いっぱい」、「禁じられ
た恋」、「さとうきび畑」、「涙そうそう」が歌われていたが、中では「さとうき
び畑」のライブが圧巻だった。
なお、木下先生といえば、近々日本伝統文化振興財団から「木下保の藝術/信時潔
&團伊玖磨歌曲集」(2,800円)というCDが発売になるようだ。(「レコード芸
術」1月号の新譜情報に小さく載っていた。)
* * * *
カタール時間29日、日本が豪州を1対0で破り、04年中国大会以来2大会ぶりにア
ジア・カップ・サッカーに優勝した。日本時間では真夜中となるため、生を観てい
ないし、コーナーキック、ゴールキック、フリーキックなどのデータも見ていない
ので、どちらが優勢だったか分からないが、GK川島のファインセーブあり、李の
ボレーシュートあり、勝ちにつながった。1点差以上に僅差での勝利といえるのか
もしれない。勝敗はちょっとの差であっても、勝ちは勝ち、負けは負けというのが
厳しい現実である。
なお、韓国も順調に世代交代が進んでいるようだ。韓国は、日本にとっては依然と
してこわい存在だろう。
森山さんは(歌う時に)いかに上半身の力を抜くかということをいっていました。
47年間も坂上先生のボイストレーニングを受けているそうです。
やはり発声は大切、永遠の課題ですね~。