先日取り上げた『回想十年』(→こちら)の延長で、吉田茂『大磯
随想・世界と日本』を読む。
初版は、
『大磯随想』:昭和37(1962)年9月(雪華社)
『世界と日本』:昭和38(1963)年7月(番町書房)
である。
執筆時期(口述筆記)は、60年安保後、吉田茂の晩年、85歳前後の
時--池田内閣の頃だ。
吉田茂は、終戦後、占領中~独立後を通じて、軽武装で経済復興を
目指し、親米路線を敷いた(一種の「選択と集中」政策?)。
戦後の日本にとって、吉田茂という、philosophy を持った政治家が
出現したことは幸せなことだったのではないかしらん。
本書にいわく、
日本と西ドイツは、ともに戦後復興の勢目覚ましく、急激な繁栄振りを展開して
いる。会議終了後、共産主義国がアグレシーブな政策を取るに至れる場合、ドイ
ツ及び日本が共産主義攻撃の第一の的となるのは必然である。由来、共産主義国
の対外政策は力以外に理解せざるやり方である。現に我が国を目標として友好同
盟条約を結んでいるのは中共とソ連である。
日清、日露戦争の昔までには論及はせざるも、大東亜戦争終戦の一週間前、ソ連
は突然兵を満洲に入れ、日ソ不可侵条約(注:日ソ中立条約のこと)を信頼して
何等の対ソ準備をなさざりしわが軍を急襲して全軍を捕虜となし、公私我が財産
を押収、占領して、以て今日に至れる事跡は我等の記憶に新たなる所、一九五一
年の朝鮮南北の事件(注:1950年の朝鮮動乱?)にしても、更に又最近のチベッ
ト問題、インド、ビルマとの国境問題にしても、凡て力の発現である。
戦後の国民(多数)は、観念的かつ親ソ的で、現実を直視しようと
しない進歩的文化人といわれた人々(いまや[進歩的文化人」とい
う言葉は死語?)より、現実主義の吉田茂を選んだというべきかし
らん。
余談だが、大学1年のクラス討論で(当時はいきなり誰かがやってき
て、政治討論になることがあった。今の大学ではこんなことはない
?)、私がハ~イと手を挙げて、
「日米安保廃棄というけれど、中ソ友好同盟相互援助条約はどうな
んでしょうか?」
と質問したところ、名前は忘れてしまったが、豊橋高校出身のクラ
スメートががばと立ち上がって、
「それは、日米安保条約があるから(中ソ友好同盟を)結んでいる
んだよね」
と強硬に主張した。
しかし、後からちょっと考えれば分かることだったが、中ソ友好同
盟相互援助条約は、いまだ非武装の日本が占領されている1950年2
月に<日本を仮想敵国と明記し>、締結されている(その後、ソ連
の支援を受けた北朝鮮が同年6月に韓国に侵攻)。
しかるに日米安保条約は、日本がサンフランシスコ講和条約で独立
後、1951年に結ばれているのである(中ソ友好同盟条約より日米安
保が後という基本的なことも分かっていなかった?)。
その豊橋高校OBさんは、本当にそう思い込んでいたか、虚偽と知っていて、そう
宣伝していたか、単なるカンチガイだったか。
ちなみに、中ソ友好同盟相互援助条約は、その後の中ソ対立の激化、
米中、日中の国交正常化により、形骸化し、1980年に30年間の期限
切れとともに破棄された(注:日中国交正常化は1972年)。
『世界と日本』では、「外遊編--世界の指導者たち」として、ア
デナウアー、ドゴール、マクミラン、ケネディ、マッカーサー、ダ
レスについて書いている。
それぞれの指導者に対する吉田のコメントが興味深い。
本書の解説は、井上寿一学習院大学学長が書いているが、これまた
おもしろい。
<参考>吉田茂の略歴
昭和[西暦](満年齢)
3[1928](50) 外務次官(田中義一内閣)
11[1936](58) 駐イギリス大使
20[1945](67) 外務大臣(東久邇内閣、幣原内閣)
21[1946](68) 第一次吉田内閣(~22)・日本国憲法公布
23[1948](70) 第二次吉田内閣(~24)
24[1949](71) 第三次吉田内閣(~27)
26[1951](73) サンフランシスコ講和条約・日米安保条約
27[1952](74) 第四次吉田内閣(~28)
28[1953](75) 第五次吉田内閣(~29)
38[1963](85) 衆院選不出馬・引退
42[1967](89) 死去・国葬
『大磯随想・世界と日本』、『日本を決定した百年』(中公文庫)
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〇韓国の元慰安婦が支援団体などを批判?(News)
韓国の元慰安婦李容洙(イ・ヨンス)さんが、ソウルの日本大使
館前で毎週開かれている抗議集会と、それを主催する慰安婦支援
団体「日本軍性奴隷問題解決のための正義記憶連帯」(正義連)
を強く批判したという。
--「学生たちが尊いお金を使っているのに憎悪を教えている」、
「集会への参加学生からの募金はどこに使われているか分からな
い」と。
こんな動きが本当にあるのかしらん。
岡本行夫氏(去年11月)
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