2月3日(日) 恒例の慶應ワグネル三田会新年会(於メルパルク東京)。
例年1月に開催されているが、今年はやや遅めのこの日になった。
ワグネル新年会を最初にどなたが考えられたのか知らないが、年に一回「新
年会」として集まれる「場」があるのもいいのではないかしらん。
(--とはいえ、現役の定演を聴きに行くように、毎年出席しているわけで
はないけれど。)
同期や高校の先輩と親しく談笑した。
JR浜松町駅金杉橋口
国道15号=第一京浜
会場のメルパルク
受付風景 幹事さんご苦労様、お疲れ様!です。
ワグネル三田会吉川会長 昨年の総括と今年の取組み
--佐藤先生を盛り上げてまいりましょう!
大先輩西浦さん(S24卒)の音頭による乾杯
塩澤部長(経済学部教授)
学生服姿は志木高ワグネルの皆さん
佐藤正浩先生とS59年卒の人たちの「現役時代」
説明はS59年卒SEC.(セカンド)の今井さん
正指揮者佐藤正浩先生
ヴォイストレーナー小貫岩夫先生
佐藤先生指揮で「タンホイザー 大行進曲」の大合唱
「若き血」(慶應応援歌)という名のお酒があるんですね~
東京タワー
箱根駅伝でもおなじみの増上寺
雪池忌
慶應義塾の塾祖福澤先生は、明治34(1901)年2月3日に66歳で亡く
なった。ということは・・・・・・この日は、先生没後112年の命日。私は、恥ず
かしながら知らなかったが、「雪池忌」(ゆきちき)という。今年は日曜日
にあたったので、先生に敬意を表して一人お墓参りに行ってきた。
(メルパルク東京の最寄駅大門から麻布十番まで2駅である。)
(注)福澤諭吉は、新島襄などとともに「明治六大教育家」とされている。
『学問のすすめ』第七編「国民の職分を論ず」にある、いわゆる「楠公権助
論」は発表「当時囂々(ごうごう)たる世論をまき起こした」(小泉信三
『福沢諭吉』岩波新書)。
これがために戦時中慶應義塾は狂信的な右翼(--それは「神がかり国粋
主義者」といってもいいかもしれない。)に狙われたらしい。
しかし、実は第七編をいくら読んでも、楠公たる楠正成の名前は登場しない。
福澤諭吉は、「忠臣義士」は主人の使いに出た権助が一両を落として、首
つり自殺をするのと変わりない、という趣旨のことをいったのである。
「見ように由っては、茲(ここ)に福沢の本領があったとおいえる。福沢は当
り障りのないことをいうに甘んぜず、しばしば求めて当り障りの強いことをい
い、いわば曲った弓を矯(た)めるため、常にこれを反対の方向に曲げるこ
とを厭わぬ警世者であった」(小泉信三、同書)
ちなみに、福澤諭吉は第六篇にて「浅野家の家来、主人の敵討とて吉良
上野介を殺したることあり。世にこれを赤穂の義士と唱えり。大いなる間
違いならずや」として「国法の貴きを論」じている。
話のついでに・・・・・・
皇居前にある楠正成像(明治33年完成)の作者は高村光雲であり、住友
家の献納によるものである。
福沢諭吉『学問のすすめ』(岩波文庫)
麻布十番 新一の橋交差点
20年前の営業時代、この付近に得意先があり、よく通ったものだ。
左側に見えるのは「麻布永坂 更科本店」
麻布十番商店街
豆源本店 慶應元年創業
この日は節分 年男(72歳?)による豆まき
麻布山善福寺
お墓参りに向かう人々
勅旨門(中門)
福澤諭吉先生のお墓参りに並ぶ人々
以下、善福寺境内
親鸞聖人像
越路吹雪の碑 「愛の讃歌」が刻まれている
天然記念物 善福寺の公孫樹(いちょう)
善福寺本堂
左はタウンゼント・ハリスの碑 善福寺は「最初のアメリカ公使宿館跡」
である。
紀文堂 明治43(1910)年創業 人形焼きなど
総本店 浪花家 たい焼きで有名 この日は40分待ち!
麻布十番より六本木方面
* * * *
ワグネルOB練習
1月31日(木) 福永陽一郎編曲「チャイコフスキー歌曲集」3番、4番、5番、
1番の順で練習。須田さんにはまことに根気よく指導していただいている。
感謝!です。
4番「ただ憧れを知る者のみが」(ゲーテ詩)とは、詳しくいえば「ただ会う
ことへの憧れを知る者のみが どんなに私が悩んだか、悩んでいるか分かる」
ということである。なるほど~、そうだったんだ~!(笑)。
この日の練習には、こんにゃく座の方が2月公演のPRに来られた。
2月7日(木) オムコンで歌う「朝日のごとくさわやかに」、「熱き心に」そし
てOB4連曲「チャイコフスキー歌曲集」2番と1番をおさらい。ピアノ伴奏は
永澤友衣さん。
立花隆『天皇と東大Ⅳ』(文春文庫)★★★★★
2月8日発売と同時に購入。ものすごい勢いで読んでいる。
「明治憲法と天皇機関説論争」、「平賀粛学--河合事件」のテーマが詳し
く、大変オモシロイ。
Ⅳ巻目次
第54章 経済学部教授を獄中に葬ったスパイH
第55章 経済学部三国志、宿命の権力闘争
第56章 河合派の崩壊と戦時経済研究会
第57章 「大逆」と攻撃された津田左右吉の受難
第58章 軍艦早朝・平賀譲の経済学部大粛清
第59章 戦時経済の寵児・土方成美 絶頂からの転落
第60章 粛学の立役者、田中耕太郎の四面楚歌
第61章 難曲の経済学部長 舞出長五郎の小心姑息
第62章 「無罪、さもなくば重罰を」河合栄治郎の深謀
第63章 反ファッショ人民戦線と河合栄治郎
第64章 平賀東大 戦争体制下の大繁盛
第65章 南原繁総長と昭和天皇退位論
第66章 天皇に達した東大七教授の終戦工作
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