最近は、「昭和史」をひとまず一服し、「中国関係」を整理している。
服部龍二『日中国交正常化--田中角栄、大平正芳、官僚たちの挑
戦』は、2011年度大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞特別賞を受賞
した好著だ。
昭和47(1972)年の日中国交正常化交渉の模様が多面的にまとめら
れている。50年前を思い出す。
<年表 抜粋>
1968 劉少奇失脚
・・・・・・この頃、北京放送(ラジオ)は「岸・佐藤兄弟反動内閣、日
本軍国主義、日米安保条約」を盛んに非難。
(高校生だった私は、岸さんと佐藤さんが兄弟だと知った[笑])。
1969 珍宝島事件、コスイギン・周恩来対談
1971 キッシンジャー・周恩来秘密会談、J.レストン・周恩来会見
J.レストン「私のみるところでは日本は、太平洋で中国とソ連とい
う二つの核勢力と向かい合い、米国と日米安保条約から離れた場合、
核武装に進まねばならないことはほぼ確実です。そうではありませ
んか。そんなわけで私自身、あなた方が日米安保条約の破棄を望ん
でおられることに、当惑を感ずるのです」
(予想外の質問??)
周恩来「そういう議論は、まったくのこじつけです。・・・・・・(略)」
(『周恩来会見記』J.レストン ニューヨークタイムズ副社長。『中
央公論』1971年10月号)
(それから1年後、日中国交正常化にあたって、中国は日米安保条約
に反対しなくなった。君子豹変?ご都合主義?日本社会党はショッ
クを受けた?もしかしたら、中国はやはり日本の野党ではなく、実
力者[総理]と直接話し合わなければ「話」が進まないことを学ん
だ?)
1972 ニクソン大統領訪中、林彪失脚、日中国交正常化
(ニクソン、共和党は「反共」だからこそ訪中できた?国際政治は
リアリズム?)
「田中総理・周恩来総理会談記録」→こちら。
・・・・・・外務省に残る公式記録。読み応えがある。
周恩来は硬軟織り交ぜた発言。中国は原則にこだわりつつも、対ソ
戦略から日本に接近したかった?
服部本には取り上げられていないが、「中国は革命を輸出しない」
と周恩来に言わせたのは大きかった?
「造反有理」を叫んでいた、日本の学生運動~連合赤軍等極左過激
派はハシゴをはずされた?--これももはや「歴史」の世界?
ご参考ブログ
(1)「人生ブンダバー」→こちら。
(2)「フランスの田舎から」→こちら。
(リンクをはらせていただいた)。
<目次>
序 章 北京への道
第1章 田中角栄と大平正芳
第2章 ニクソン・ショック
第3章 田中内閣成立と竹入メモ
第4章 アメリカの影
第5章 台湾
第6章 田中訪中と「ご迷惑」スピーチ
第7章 周恩来の「ブラフ」、大平の「腹案」
第8章 尖閣諸島と田中・毛沢東会談
第9章 日中共同声明と日台断交
終 章 日中講和の精神
中国は、「原則」、「建前」、「面子」を重要視するが、「ご都合
主義」の面もあり、現在は米中対立の時代なので、中国から日本に
すり寄ってくる?(仮説)。
服部龍二『日中国交正常化』(中公新書、2011)★×5
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