人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

5/24(木)畑中先生のご逝去 そしてワグネルOB練習

2012-05-28 05:00:00 | 音楽

畑中良輔先生が5月24日(木)午後0時2分、間質性肺炎のため逝去された。90
歳3か月だった。

その日午後、私は、隔週の午後3時45分から開催する重要会議のため、前日に
作成したレジュメに入念に目を通し、さらに補足資料を準備していた。
午後2時59分、携帯電話メールのマナーモードが反応した。また電話会社の宣
伝だろうとやり過ごし、3時過ぎの締切業務対応に追われた。

数分たって、そのメールを開けると、仙台のYさんから
「畑中先生、ご逝去!残念無念です」
という短文があった。
驚いた私は仕事中ではあったがやむなく、ただちに
「えっ、いつですか?」
と返信した。
3時12分に、すぐYさんから電話がかかってきた。
「4月に体調を壊され肺炎になり、自宅で静養されていたけれど、今日、肺炎悪
化のため緊急入院し、急逝されたそうです。ワグネルのメーリングリストで流れ
ています」
「ありがとう。分かった」

すぐに家内にメールし、確認したら、午後2時47分にワグネル三田会吉川会長
より上記趣旨のメールが配信されていた。
3時半、当社の健保組合にいるワグネルOBのHさんに社内電話。
「もしもしボクですが」
「ああどうも・・・・・・」
「知ってる?」
「なんですか?」
「畑中先生が亡くなられたよ」
「えっ、そ、そうですか」
「ニュースで速報されているから、見て。悪いけどこれから会議だから。練習で
また」
4時3分、会議中にワグネル同期のAさんから携帯に確認の電話があった。10
秒で終わる。

その日、24日木曜は午後7時から文京シビック練習場でOBの通常練習があっ
た。仲光さん指揮の「尾崎喜八の詩から」である。
退社後、いつもどおり讃岐うどんを食べ、ドトールで一服。あんなことがあった、
こんなことがあったと、自然に畑中先生のことが思い出されてくる。先生の思い
出は落ち着いたらまとめてみたい。
6時45分に練習会場に着くとすでに先輩方によってイスが並べられていた。皆
さん、お互いに挨拶はするものの、心なしか練習前も静粛だった。

7時ちょうど、会場が静まり返る中、OB合唱団の指揮者須田さんから挨拶があっ
た。
「皆さんご存知だと思いますが・・・・・・、畑中先生が、今日午後、病院でお亡くな
りになりました。4月ごろから体調を壊されていたようです。11月の定期演奏会
では畑中先生に信時潔の『沙羅』を振っていただく予定でしたが・・・・・・、これか
らのことはまだ決まっておりません。今日は下田さん、吉川さん、澤口さんがご
自宅に行かれました」

ラジオ体操に続いて、仲光さんが練習開始にあたって一言
「今日は忘れられない一日となりました。今日の練習は誰も来てくださらないんじゃ
ないかと思ったりしましたが、たくさん来ていただけて・・・・・・。先生が残してくださっ
たものを大切にして、このような中でもひたむきに音楽をしていきましょう」
この日は本番のフォーメーションで並び、「4.天上沢」、「5.牧場」、「6.かけす」
を重点的に練習した。多くの人は昨年のOB四連で歌っているだけあって、ほと
んど暗譜だった。本番は90人近くになりそうである。

練習の締めに仲光さんから
「(譜面を)落とせば落とすほど・・・・・・だいぶ音楽になってきています。大変な一
日でしたが、今日は皆さんと音楽できてよかったです」
最後に、桑田さんから
「皆さんご存知のように畑中先生がお亡くなりになられました。下田さん、吉川さ
ん、澤口さんがご自宅に行かれましたが、ご自宅には多くのお弟子さんが集まり、
たくさんの花束が供えられているようです。今後のことは何も決まっていません
が、またご連絡します」

練習の帰路、私は誰とも一言もしゃべらず、10時15分自宅に着いた。

5月25日(金) 午前3時半に目が覚める。なぜか頭がさえて眠れない。起床後、
いつもどおり前日のブログデータをチェック。昨日の「人生ブンダバー」訪問者は
過去最高の426人(過去2週平均188.7人)、ランキングも1,720,833中1448
位と過去最高。わがページ閲覧数のトップは「畑中良輔・更予の米寿&卒寿紀念
コンサート」
であった。

この日帰宅したら吉川会長から
「昨晩、下田前会長、澤口幹事長と共に弔問に伺いました。
病院から家に戻られた畑中先生は、豊かな眠りに入っているように真に安らかな
お顔で、すぐに目を開けて「どうしたの、みんな」と、お声をかけていただけそうに
思えたほどでした。
眉間の縦ジワもなく、肌もツヤツヤしておられ、お亡くなりになったことが信じられ
ませんでした。(後略)」
というメールが入っていた。

畑中先生(38歳)がワグネルの定期演奏会を初めて指揮されたのが昭和35
(1960)年の創立60周年記念演奏会。それから10年たった昭和45(1970)年
には創立70周年記念定期演奏会が行われ、私はワグネル1年生だった。

今年は、二期会創立60周年!・・・・・・先生は、「ブル先生の日々是好日~荻窪
ラプソディー その39」(『音楽の友』6月号)、「新譜月評/声楽曲」(『レコード芸
術6月号』)にも、まさしく生涯現役で頑張っておられた。


私たちをすばらしい、音楽の世界に導いていただいた先生、長い間、本当にお世
話になりました。どうか安らかにお眠りください。


在りし日のブル先生

平成22(2010)年11月27日 慶應ワグネル男声 定期演奏会の打ち上げ
ワグネルご指導50周年紀念の盾をお持ちになって


5月27日(日) 吉田秀和さん(98歳)が22日にお亡くなりになったと知り、大変
驚く。『レコード芸術』6月号「之を楽しむ者に如かず」を読んだばかりだった。


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