昭和6(1931)年の満州事変(正しくは「満洲」)を冷静な筆致で、事
実中心に描いている。
初版は、昭和49(1974)年11月の新書だが、けっして古くなったわ
けではない。
臼井勝美先生は、大正13(1924)年生まれの91歳で、いまだご存
命のようだ。
満州事変は、(長々と議論することはできる[*]が)簡単に言えば、
関東軍の謀略による、不戦条約違反(国際法違反)である。しかも
林朝鮮軍が「独断で」満州へ出兵している。
(近年の研究によれば、関東軍は、1929年、張学良(1928年、易
幟→中華民国統一)の「奉天派」とソ連の間に発生した中ソ武力紛
争で、「武力」でソ連が勝ち、「奉天派」が負けたことに関心を持って
いた)。
*渡部昇一先生の『知的生活の方法』(講談社新書)は、発売当時
から私の愛読書の一つだが、『渡部昇一の昭和史』的見方には賛
成できないだろう。南京事件(「南京大虐殺」)に関する見方も異な
るかな。
リットン調査団報告は、日本の立場に「一定の理解」を示しながらも、
日本の行動は自衛的行為とは言い難い、というものだった。
日本は、中国と二国間での解決を図る道を選び(*)、昭和8年、国
際連盟を脱退し、「世界の孤児」となった。
(*)日本の世論は、新聞を先頭に、「暴支膺懲」(暴虐な中国を懲
らしめろ)という声が圧倒的だった。
最近、1935年刊行のジョージ・ブロンソン・リー『満洲国建国の正当
性を弁護する』(草思社)、『「満洲国建国」は正当である』(PHP研究
所)という本が復活、出版されているが、はたしてどうだろうか。
*80年前にこのような本が出版された事実はともかく、満州事変や
満州国を「正当化」するのは、「安倍談話」(→こちら)の考え方に
も反するのではないかしらん。
そもそも当時の「中国」とはどこか?という問題があるが、幣原喜重
郎も満州(満洲)は中国の領土だという認識ではなかったかしらん。
ところで、私には、7/13にもいささか書いたが、ハーグ仲裁裁判所
の裁定(国際法)に従わない中国が、フィリピンと二国間交渉に持ち
込もうとしている(?)ことが、戦前の満州事変の日本にダブって見
える。
はたして中国は「世界の孤児」になるや如何。
臼井勝美『満州事変』(中公新書)★★★★★
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