戦後史の一コマから・・・・・・
先日(3/20)、このブログで取り上げた「独占告白 渡辺恒雄~戦
後政治はこうして作られた 昭和篇」の中で、大野伴睦が岸信介に
次期自民党総裁指名の「空手形」を切られ、泣いた話があった。
この話は、『大野伴睦回想録』(S37/1962)に出てくるというが、
その引用が内田健三『戦後日本の保守政治』に載っている。
孫引きとなるが、以下にその一部を引用する。
58年末、自民党内では警職法問題で、池田、松村・三木、石井、
石橋の四派が反主流派色を鮮明にし、党執行部=主流派追及を強
めていた。・・・・・・岸政権は世論の批判と党内の反乱で最大のピン
チに立った。
ここで岸首相は極秘のうちに「政権密約劇」を演じたのである。
『大野伴睦回想録』によれば、
「・・・・・・岸首相の方針はこのような情勢に一貫せず、私は補佐の
任に耐えずとして、副総裁の地位を辞任して身を引こうとひそか
に決意した。・・・・・・孤立した岸・佐藤両派が一日も政権を維持で
きぬだろうことは、だれの目にも明らかだった」
「・・・・・・1月5日、突然、岸首相から電話がかかってきた。岸君は
熱海の別荘にいた。・・・・・・行ってみると河野一郎君もいた。その
席上、岸君は『どうか岸内閣を助けていただきたい。私は太く短
く生きるつもりです。いつまでも政権に恋々としていようとは思
わない。・・・・・・安保改定さえ終れば、私は直ちに退陣します。後
継者としては、大野さん、あなたが一番良いと思う。私はあなた
を必ず後継総裁に推すつもりです・・・・・・』と、切々とした言葉で
頼むのであった」
「1月9日の夜、東京でわれわれはふたたび会合した。・・・・・・岸君、
私、河野一郎君に、岸君の実弟佐藤栄作君、それに、岸、佐藤、
河野君らの友人である永田雅一、萩原吉太郎および児玉誉士夫の
三君も加わった。
岸・佐藤兄弟はこの席でふたたび『岸内閣を救ってくれ、そうし
たら安保改定直後に退陣して必ず大野さんに政権を渡す』とくり
返し、佐藤君までが手をついて頼むのである。
しかも岸君は、口約束では信じないならばはっきり誓約書を書い
ておこうとまでいい・・・・・・岸君みずから筆をとり、後継者に大野
君を頼むという文書をしたためた。しかも大野の次は河野、河野
の次は佐藤という政権の順序まで約束したものだった。この文書
は同席の七人が連署し、萩原君が北炭の金庫に保管しておくこと
になった」
その後、岸退陣後、大野は、池田、石井が立った総裁選で立候補し
ようと名乗りをあげるが、川島から党人派を石井に一本化しようと
説得され、立候補を断念。その後、川島は池田支持となり池田が総
裁に当選する。大野は二度までもだまされたことになる。
クレバーで冷徹な岸に「義理と人情」の大野。
あなたならどちらの道を選択するだろうか。
大野伴睦の(有名な)名言
・猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人。
・酒は飲む以上わけがわからなくなるまで飲むべきだ。
余談だが、細川護熙は政治家になる時に、父細川護貞に「そんなヤ
クザな世界に入るなら、縁を切る」と勘当されたという。
内田健三『戦後日本の保守政治』(岩波新書)
学生時代に読んだものだが、手元に見当たらず、最近amazonであらためて購入。
『岸信介の回想』と『岸信介証言録』
上記いずれにも大野伴睦への「空手形」の話ははっきりとは出てこ
ない。オーラルヒストリーから削除されたか?元々、それはインサ
イドストーリー(内輪話)であって、あったとかなかったとか言えな
い性格のものだったのか?
<参考>
大野伴睦:1890-1964
岸信介:1896-1987
石井光次郎:1889-1981
川島正次郎:1890-1970
池田勇人:1899-1965
佐藤栄作:1901-1975
もしかしたら『大野伴睦回想録』は、渡辺恒雄氏が書いたものなの
かしらん(憶測)。
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なるほど、ですね~。
いまや歴史の世界?よしあしは置いて、安保改定問題の前の警職法改正(最終的には撤回)問題から「反岸感情」が強くなってしまいました。
それにしても、岸総理の悲願であった、安保改定、
「今の安保条約では、米軍は、『駐留すれど防衛せず』なので、改定しなければならないのです」
と、小泉元首相風の、ワンフレーズの解説で、趣旨は語れますので、国民に巻き起こった、激烈な反対運動も、決して防げなかったわけではないのです。