奇しくもワグネルOBの練習日であった。1月26日(木)、S36年卒の
船曳先輩が78歳で亡くなられた。
船曳さんにはワグネル三田会の学年幹事として、私の現役の頃から
大変お世話になった。
その日、19時から東京芸術劇場地下2階リハーサルルームM3での
練習も無事に終わり、「連絡の時間」となった。
責任者の桑田さんから「何かありますか?」という求めに応じて、下
田さんが立ち上がった。
何かしらんと思ったら、「本日、午前11時15分、船曳くんがお亡くな
りになりました」と切り出され、練習会場が静まり返った。
2月1日(水)、10時半から世田谷区経堂の福昌寺で行われた、船
曳さんの葬儀、告別式に参列した。
「定刻30分前(=10時)」を目標に、早め早めの準備をして家を出た
ら、9時40分には経堂に着いた。駅前で1年先輩のKさんとバッタリ。
Kさんは「Sさんと待ち合わせているので」とのことから、私は「お先に
失礼します」。
9時50分に会場に行くとすでに受付を開始しており、10時前に観世
音ホールに入る。祭壇には、中央に船曳さんの遺影のほか、ご自分
で選ばれたのかしらん、左右に6葉の写真が飾られていた。
ご家族や愛車との写真。どこかで指揮をされている写真。思わず目
が留まったのは、ゴルフでティーショットをされている写真--頭が
残り、両腕が締り、ウェイトシフトも完璧な、プロ並みのフォームだっ
た。船曳さんは、スポーツマンであり、大変なゴルフマニアだった。
読経が始まり、10分ほど経って、60年来の友人下田さんの心から
の弔辞が読み上げられた。
最後には、列席した30人以上のワグネルOBにより、弔歌というの
か献歌というのか、36年卒同期の田中さんの指揮で、塾歌、「慶應
讃歌」が霊前に捧げられた。
私は、歌うに際し「絶対に泣かないで歌うぞ」と決心していたが、「慶
應讃歌」の2番に移り、「あゝ美しき三田の山 第二の故郷三田の山」
の後に「共にむつみし幾年は 心に永くとどまらん」まで来たところ、
涙がどっとあふれて、歌えなくなってしまった。ふと見ると、奥様が泣
き崩れ、先輩が一生懸命歌っている。それを見て、ますます絶句し
てしまった。--今も、その時を思い出すと涙があふれてくる。
出棺に際しては、ワグネルOBで「丘の上」を合唱し、そして合掌した。
先輩らしい先輩だった船曳先輩のご冥福を心からお祈りしたい。
8:52 あざみ野
9:02 溝の口
9:06 武蔵溝ノ口
9:15 南武線登戸
9:16 南武線登戸改札口 表示が大きくて嬉しい。
9:22 小田急線登戸へ乗り換え
9:39 経堂着
9:41 経堂改札口
9:42 経堂駅前 三井住友銀行
9:42 経堂駅
9:42
昔は高架ではなかった。昭和30年当時、私は近くの宮(の)坂に住
んでおり、地上の踏切をロマンスカーが通るのを目撃している。
9:43 農大通りへ
9:44
9:45
9:49 横道へ入る。
9:49 お寺自体は曹洞宗だが、葬儀は真言宗で執り行われた。
9:50 左が観世音ホール
10:37 祭壇の左右に船曳さんの写真
10:44 下田さんの心からの弔辞
11:10 ご焼香
11:37 塾歌、「慶應讃歌」の合唱
12:04 出棺に「丘の上」を
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