今月発売の『音楽の友』9月号より--「ブル先生の日々是好日」に20年近く前の
話として、畑中先生と福永陽一郎、北村協一さんが大阪の名門ホテルプラザ(今は
ない。)、仏料理「ル・ランデヴー」で食事をした時の話が載っている。いろいろ
あって、急に福永先生が立ち上がり、「もう帰ろう。こんな夕食はゴメンだ」と言
う場面が出てくる。いかにも福永先生らしいとおもしろく読んだ。
また本号には7月に亡くなった若杉弘さんについて、畑中先生が弔文エッセーを寄
せておられる。(『朝日新聞』にも畑中先生が弔文を載せておられた。)
若杉さんが慶應経済を中退し、芸大に入学した話は無論知っていたが、最初は芸大
声楽科だとは知らなかった。途中で指揮科に転科されたのだそうだ。
若杉さんの指揮では昭和50年代にN響でブラ1を聴いた。新宿厚生年金会館での特
別演奏会だったと思うが、私は当日勘違いして東京文化会館へ行ってしまった。文
化会館は真っ暗で、私の頭は真っ白。あわてて手元のチケットを確認し、新宿へ向
かったのだが、最終ステージしか聴けなかった苦い思い出がある。
(それ以来、演奏会の当日朝には、開演時間と会場を確認することにしている。)
昨年の6月28日、若杉さんの指揮する、ドビュッシーの「ぺレアスとメリザンド」
を聴いた。とてもよかった。しかし、若杉さんが少し元気なさそうなのが気になっ
ていた。74歳と、指揮者としてはまだお若いのに残念である。
話として、畑中先生と福永陽一郎、北村協一さんが大阪の名門ホテルプラザ(今は
ない。)、仏料理「ル・ランデヴー」で食事をした時の話が載っている。いろいろ
あって、急に福永先生が立ち上がり、「もう帰ろう。こんな夕食はゴメンだ」と言
う場面が出てくる。いかにも福永先生らしいとおもしろく読んだ。
また本号には7月に亡くなった若杉弘さんについて、畑中先生が弔文エッセーを寄
せておられる。(『朝日新聞』にも畑中先生が弔文を載せておられた。)
若杉さんが慶應経済を中退し、芸大に入学した話は無論知っていたが、最初は芸大
声楽科だとは知らなかった。途中で指揮科に転科されたのだそうだ。
若杉さんの指揮では昭和50年代にN響でブラ1を聴いた。新宿厚生年金会館での特
別演奏会だったと思うが、私は当日勘違いして東京文化会館へ行ってしまった。文
化会館は真っ暗で、私の頭は真っ白。あわてて手元のチケットを確認し、新宿へ向
かったのだが、最終ステージしか聴けなかった苦い思い出がある。
(それ以来、演奏会の当日朝には、開演時間と会場を確認することにしている。)
昨年の6月28日、若杉さんの指揮する、ドビュッシーの「ぺレアスとメリザンド」
を聴いた。とてもよかった。しかし、若杉さんが少し元気なさそうなのが気になっ
ていた。74歳と、指揮者としてはまだお若いのに残念である。
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