いささか旧聞になるが、8月12日産経新聞の「正論」に、小堀桂
一郎東大名誉教授が「『国家理性』の軌跡検証の奨(すす)め」
と題して寄稿している。
以下はその一部。
戦争の勝敗は、国民の生命・財産の保全の度、領土の増減如何を以て測るの
ではなく、当事国が当初の戦争目的を達成したか否かで測るべき事だ、とい
ふ視点は古くからあつた。日本対米英蘭華の大東亜戦争をこの視点から見る
と、日本は自存自衛といふ目的は辛うじて達し得た上に、東亜諸民族を欧米
の植民地支配から解放するとの目的は達成した。故にあの戦争の勝者である。
はたして日本は「東亜諸民族を欧米の植民地から解放する」ため
に米英に対して宣戦布告したのかしらん。
「米國及英国ニ對スル宣戦ノ詔書」(昭和16年12月8日)には次
のとおり書かれている。
・・・・・・今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端ヲ開クニ至ル 洵ニ已ムヲ得サルモノ
アリ豈朕カ志ナラムヤ・・・・・・
・・・・・・事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕
スルノ外ナキナリ・・・・・・
(注)上記詔書には、日清・日露戦争、第一次世界大戦の詔書にあった「国際
法、国際条規を守って・・・・・・」という趣旨は書かれていない。
岡崎久彦『重光・東郷とその時代』を読んでいたら、そこには
戦後50年も過ぎて、まだ大東亜戦争については、それが侵略戦争だったか、
アジア解放のための戦争だったかという解放史観が対立している。・・・・・・侵
略戦争というのは他国を侵略して日本が得をしようということであるが、必
ず勝てる自信があれば別であるが、そうでないのに一稼ぎしてみようという
だけの理由で「清水の舞台から飛び降りる」人はいない。他方、他の民族の
独立を助けようという利他的な目的で、自分の国の存亡を賭ける人もいない。
やはり八紘一宇(はっこういちう)の下の制覇のためでもなく、アジア解放
の理念に燃えたわけでもなく、安岡正篤(まさひろ)の筆といわれる宣戦の
詔勅に簡潔に要領よく書いてあるとおり、追いつめられて、「自存自衛のた
め」に起(た)ったというのが当時の日本人の気持ちとして正直なところで
あった。
とあった。--まあ、そんなところかしらん。
ちなみに
○前記「宣戦の詔勅」は、「対米国及び英国」とあるように、
・英国よりも米国が先だ。
・蘭国(オランダ)には宣戦布告していない(オランダはその後
ただちに日本に宣戦布告した)。
○真珠湾攻撃よりマレー半島上陸の方が1時間ほど早い。
○昭和18年11月の大東亜会議においても、インドネシアとマレイ
は日本領とし、独立は認めていなかった。
なお戦時中、まったくザッハリッヒな、冷めた目で見ていた永井
荷風は、日記に次のように書いている。
昭和15年11月25日
熱海旅館の組合にては、内務省辺より秘密の通達ありしを奇貨となし、外国
人には能ふかぎり物を高く売りて外貨獲得の効果を収めんとしつつあり。
・・・・・・ 現代日本人の愛国排外の行動はこの一小事を以て全班を推知するに
難しとせず。
八紘一宇などといふ言葉はどこを押せば出るものならむ。お臍(へそ)が茶
をわかすはなしなり。
昭和16年6月15日
今日以後余の思ふところは寸毫も憚り恐るる事なくこれを筆にして後世史家
の資料に供すべし。
日支今回の戦争は日本軍の張作霖暗殺及び満洲侵略に始まる。日本軍は暴支
膺懲(ぼうしようちょう)と称して支那の領土を侵略し始めしが、長期戦争
に窮し果て俄(にわか)に名目を変じて聖戦と称する無意味の語を用ひ出し
たり。
岡崎久彦『重光・東郷とその時代』(PHP文庫)
坂本多加雄・秦郁彦他『昭和史の論点』(文春新書)
半藤一利『昭和史』(平凡社ライブラリー)
吉田裕『アジア・太平洋戦争』(岩波新書)
永井荷風『断腸亭日乗』(岩波文庫)
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私たちの若い頃はソ連のアフガニスタン侵入(侵略)が10年ほど続きましたが、2001年のアメリカ同時多発テロから米軍の空爆~タリバン政権崩壊~新共和国設立から20年。どっこいタリバンは生きていたんですね~。これからどうなりますか。見守るしかないのでしょうか。