昭和3年6月の張作霖爆殺事件については、先日少しく書いた(→
こちら)。
本事件の主犯は、関東軍高級参謀の河本大作大佐である。
最後の元老西園寺公望は、新聞第一報を読み、秘書の原田熊雄に
「どうも怪しいぞ。人には言えぬが、どうも日本の陸軍あたりが
元凶じゃあるまいか・・・・・・」
と語っている(「原田日記」)。
秦郁彦『昭和史の謎を追う』(文春文庫/1999)の「第2章張作霖
爆殺事件」(1985/1992)では、一次史料等を整理して詳しい。
河本大作大佐が主犯であることは、まず、昭和21年7月、東京裁判
(極東国際軍事裁判)における元陸軍省兵務局長田中隆吉の証言
で飛び出した。
田中少将は、・・・・・・たとえば満州事変の事前工作である昭和3年6月3日の張作
霖爆殺事件にかんする公式調査報告書を、兵務局長時代に見た、という。し
かし、その文書はない。検事側から日本政府に提出を求めたが、紛失したと
報告してきた、とサケット検事は述べた。
田中少将は、張作霖爆殺事件について、直接の指揮者河本大作大佐と話した
という。しかし、河本大佐は中国に抑留され、証人として喚問できない。長
勇大尉からも話を聞いた、という。だが、長大尉は昇進して中将になり、沖
縄で戦死している。(児島襄『東京裁判』[上]p201)
(参考)
河本大作の手記→こちら。(以下は一部の抜粋)
そこで、久しぶりに満洲に来てみると、いまさらのごとく一驚した。
張作霖が威を張ると同時に、一方、日支二十一カ条問題をめぐって、排日
は到る処に行われ、全満に蔓っている。日本人の居住、商租権などの既得権
すら有名無実に等しい。在満邦人二十万の生命、財産は危殆に瀕している。
馬場伸也『満州事変への道』(中公新書/1972)
朝日新聞東京裁判記者団『東京裁判』(朝日文庫/1995)
児島襄『東京裁判』(中公新書/1971)
秦郁彦『昭和史の謎を追う』(文春文庫/1999)
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8/22投票 横浜市長選は、立民推薦山中氏が得票率34%で当選。
2位の小此木氏に18万票差。3位以下、林氏、田中氏はほぼ同数。
松沢氏は5位。
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