作曲家の歴史を調べるのは、この曲はこの時に作曲したのか?などが
分かっておもしろい。
アントニン・ドボルザーク(※) 曲と作曲年
1841 北ボヘミア(オーストリア帝国)に生まれる。生家は肉屋と宿屋。
*ハプスブルク帝国は約400年、1918年まで続いた。
1865 交響曲第1番
1875 交響曲第5番、弦楽セレナード
1876 ピアノ協奏曲
1878 スラヴ舞曲集第1集
1880 交響曲第6番、ヴァイオリン協奏曲、「ジプシーの歌」
1884 『スターバト・マーテル』
1886 スラヴ舞曲集第2集
1885 交響曲第7番
1889 交響曲第8番
1890 レクイエム
1893 交響曲第9番「新世界より」、弦楽四重奏曲第12番『アメリカ』
1895 チェロ協奏曲
1900 歌劇『ルサルカ』
1904 プラハ(オーストリア=ハンガリー帝国)にて死去(62歳)
※名前は、アントニーン・ドゥヴォルジャークという表記がチェコ語に近
いようだ。私は、アントン・ドボルザークと覚えていたが、アントンは
ドイツ語名らしい。
演奏会に取り上げられるドボルザークの交響曲は、第9番「新世界より」
が多く、次いで第8番かしらん。カラヤンは8番が好きだった。
今月、初めて第7番の演奏会を聴きに行くので、CDを予習している。
演奏は、ハンガリーのイシュトヴァン・ケルテス(1929~1973)指揮、
ロンドン交響楽団(1963年録音)。名演の一つだろう。ケルテスに導か
れたロンドン交響楽団の音色とDECCAの録音がすばらしい。第3楽章の
スケルツォはワクワク。
ちなみにケルテスは、テル・アビブで岡村喬生さんらと遊泳中におぼれて
亡くなっている。
ケルテス/ロンドン交響楽団 ドボルザークSym.No.7、No.8
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