人生ブンダバー

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星谷とよみ『夢のあとで--古澤淑子伝』(文園社)★★★

2010-05-14 05:05:28 | 読書

副題は「フランス歌曲の珠玉 古澤淑子伝」である。先日のワグネル
 オムニバス&スプリングコンサートのプログラムを見ていたら、先
輩の岡弘道さんの項に「当時師事した先生方:宮本良平先生、畑中
良輔先生、ネトケレーヴェ先生、古沢淑子先生」とあった。

早速、古澤淑子について調べていたら、本書が発行されているのが
分かり、横浜市図書館に予約した。この本は横浜市図書館18館に
一冊しかない。さして人気がないのかもしれない。

古澤淑子は大正5(1916)年、大連生まれ。12歳で遠藤郁子(遠藤
周作の母)に歌を習い、昭和5(1930)年荻野綾子、ネトケ・レーヴェ
に声楽を師事。いずれも歴史上の人物である。

昭和12(1937)年21歳で渡仏。コンセルヴァトワールに入学し、マ
ダム・クロワザに師事した。昭和14(1939)年、第二次世界大戦勃
発の中、ヒトラー独軍の仏侵攻に伴い、自転車でパリを脱出、1ヵ月
後パリに戻り、コンセルヴァトワールを卒業。
昭和19(1944)年、初リサイタルで絶賛され、6月の連合軍上陸で
パリを脱出、命からがらジュネーブへ移動した。このあたりの記述は、
本書の白眉である。

戦後昭和27(1952)年、15年ぶりに帰国。日本に仏歌曲を紹介す
るとともに、桐朋音大、芸大などで多くの声楽家を育てた。本書の後
半には、若杉弘など古澤淑子の芸術に触れた音楽家で出てくる。

「ペレアスとメリザンド」の日本初演は、昭和33(1958)年ジャン・フ
ルネ指揮により古澤淑子とジャック・ジャンセンが行った。

古澤淑子の一生は、①渡仏まで、②フランス修行時代、③帰国後の
活躍、④再びフランスへ の四つに分けられるだろう。--青春、朱
夏、白秋、玄冬。もう少し時代背景を掘り下げれば、もっとおもしろく
なったかしらん。


古澤淑子は、子ども時代は内向的だったようだ。それが内側で燃え
る仏歌曲の世界とマッチしていたのかもしれない。

古澤淑子は、平成13(2001)年85歳で亡くなっている。



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2 コメント

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奇遇 (minorer)
2010-05-15 00:08:26
古澤淑子女史はワタシの伯母の友人です
古澤女史がフランス歌曲の勉強会を開いているとうことで
ワタシもクラスレッスンに参加したいと思ったのですが
「あぁら、貴方なんかじゃ無理よ」と伯母に一蹴され
実現しませんでした(40年前ですかねぇ)

伯母は94歳でいまだ健在です
返信する
ビックリ! (katsura1125)
2010-05-15 09:06:15
minorerさん、有難うございます。
古澤淑子さんは、フランス歌曲研究会を継続的に開催し、多くの人を育てました。木下保先生、渡辺高之助(テノール)のお弟子さんである三林輝夫さん(テノール)も当フランス歌曲研究会の会員でいらしたようです。
いずれにしても三國一郎といい、古澤淑子といい、minorerさんのお知り合いのお知り合いなんですね~。
返信する

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