人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

ワールドカップ予選 対オマーン戦

2008-06-03 05:50:00 | Weblog
ワールドカップといえば、昔はサッカーに決まっていた。(蹴球(しゅうきゅう)
と言った。)昨2日(月)、その第3次予選対オマーン戦が日産スタジアムで行われ
た。

結果は3対0の勝利!シュート数、コーナーキック数、ボール支配率いずれも明らか
に日本が勝っていた。何より点が取れたことが大きい。シュート数等々が勝ってい
ても点を取らなければ勝てないのがサッカーである。点を取れなければ最高で引き
分けである。プロセスもさることながら、サッカーは勝つことが大切なのである。

テレビ中継を途中から観たが、日本の選手が喪章を付けてやっていた。えっ、どな
たが?と思ったら・・・・・・長沼健氏だった。
長沼といえば33歳で全日本監督に就任し、八重樫、川淵、杉山、釜本、森等を擁
し、東京、メキシコ両五輪を戦った人として知られている。私が中学でサッカーに
熱中していた時代である。(私は地区で、3位のサッカー部の“キャプテン”だっ
た。ポジションは長沼、釜本と同様FWである。)長沼は関学王国、古河電工王国
の立役者である。古河電工には多くの有名いや有力選手がいた。--平木、八重
樫、宮本(征勝)、川淵(チェアマン)等々。岡田現全日本監督も古河出身であ
る。

若手の長沼を監督に抜擢したのは野津謙である。この人が偉かった。長沼を監督、
岡野をコーチ(就任当時32歳)とし、西ドイツからクラマーを招聘した。野津謙、
竹腰重丸(*)、岡野俊一郎、みな東大(かつ理科系)である。東大はサッカーが
強かったのである。

(*)40年以上前、旺文社から出ていたスポーツシリーズ『サッカー』の著者は竹
   腰重丸だった。ちなみに「ベルリンの奇跡」といわれた対スウェーデン戦勝
   利のチーム・コーチが竹腰である。

長沼さんのご冥福をお祈りする。合掌。(関学はアーメンかしら。)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« バーンスタイン生誕90年 | トップ | 片山杜秀『音盤博物誌』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事