バーンスタイン生誕90年である。
昭和53(1978)年7月4日(火)普門館大ホールで、何ヶ月も前に前売り券を購入し
心待ちにしていたバーンスタイン、ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会が
開かれた。メインのプログラムはドボルザークの交響曲第9番「新世界より」。
( "From the New World"なので「新世界」ではなく、「新世界より」である。)
ところが当日会場に行って驚いた。「バーンスタイン急病のため」、指揮者がライ
ンスドルフに変更になっていたのである。しかも入場料の払い戻しは一切なし。
(はたしてバーンスタインはその時来日していたのだろうか?)
ラインスドルフは歩き方も飄々としていたが、「新世界より」も肩の力が抜け、
飄々とした新即物主義的な演奏だった。本当の肩透かしである。
バーンスタイン、NYフィルは翌年あらためて来日したが、その時は購入せず、と
うとう生を聴きそびれてしまった。私にとっては、ラインスドルフもそれっきりで
あった。
昭和53(1978)年7月4日(火)普門館大ホールで、何ヶ月も前に前売り券を購入し
心待ちにしていたバーンスタイン、ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏会が
開かれた。メインのプログラムはドボルザークの交響曲第9番「新世界より」。
( "From the New World"なので「新世界」ではなく、「新世界より」である。)
ところが当日会場に行って驚いた。「バーンスタイン急病のため」、指揮者がライ
ンスドルフに変更になっていたのである。しかも入場料の払い戻しは一切なし。
(はたしてバーンスタインはその時来日していたのだろうか?)
ラインスドルフは歩き方も飄々としていたが、「新世界より」も肩の力が抜け、
飄々とした新即物主義的な演奏だった。本当の肩透かしである。
バーンスタイン、NYフィルは翌年あらためて来日したが、その時は購入せず、と
うとう生を聴きそびれてしまった。私にとっては、ラインスドルフもそれっきりで
あった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます