戦前の昭和史のポイントは、やはり満州事変だ。
遅まきながら、昭和25(1950)年に岩波書店から出版された、森
島守人『陰謀・暗殺・軍刀』を読んだ。
森島守人(1896-1975)は、大正8(1919)年東京帝大卒、同年
外務省入省。戦後は社会党の代議士となる。
本書には、柳条湖事件の生々しい証言が出ている。
(昭和6年9月18日夜のこと)
10時40分ごろ、突然特務機関から、柳条溝(注:正しくは柳条湖)で中国軍
が満鉄線を爆破した。軍はすでに出動中だから至急来てくれとの電話があっ
た。
私は大きくなると直感したので、総領事(注:林久治郎総領事)に対する伝
言を残すとともに、館員全部に対して徹夜の覚悟で至急参集するように、非
常召集令を出して、特務機関へ駆けつけた。
特務機関内では、煌々たる電燈の下に、本庄司令官に随行して奉天を離れた
はずであった関東軍の板垣征四郎高級参謀を中心に、参謀連が慌しく動いて
いた。
板垣大佐は「中国軍によって、わが重大権益たる満鉄線が破壊せられたから
軍はすでに出動中である」と述べて総領事館の協力を求むるところがあった。
私から「軍命令は誰が出したか」と尋ねたところ、「緊急突発事件でもあり、
司令官が旅順にいるため、自分が代行した」との答であった。
私は軍が怪しいとの感想をいだいたが、証拠のないこととてこの点には触れ
ず、くり返し外交交渉による平和的解決の必要を力説し、「一度軍の出動を
見た以上、奉天城の平時占領位なら外交交渉だけで実現して見せる」とまで
極言したところ、同大佐は語気も荒々しく「すでに統帥権の発動を見たのに、
総領事館は統帥権に容喙、干渉せんとするのか」と反問し、同席していた花谷
(注:花谷正)の如きは、私の面前で軍刀を引き抜き、「統帥権に容喙する
者は容赦しない」と威嚇的態度にさえ出た。
こんな空気では、もとより出先限りで話のつけようもないので、一応帰館し
た。そして一切を総領事に報告した上、東京への電報や居留民保護の措置に
とりかかった。
本書は後記臼井勝美『満州事変』(中公新書)の史料・参考文献
にも挙げられている。
柳条湖事件が、中国軍の仕業ではなく、関東軍の謀略(自作自演)
ということがハッキリしたのは(--当時からそうなのではない
かという噂はあったが。)、戦後、昭和31(1956)年の話である
(花谷正「満州事変はこうして計画された」昭和31年)。
国民は昭和6年から戦時中は、柳条湖事件の真相をまったく知らず、
満州事変に「熱狂」した。
本庄繁は終戦後自決したが、関東軍部下の陰謀は知らなかった?
森島守人『陰謀・暗殺・軍刀--外交官の回想--』
(岩波新書、1950)
<関連図書>
左から
臼井勝美『満州事変』(中公新書、1974)
山室信一『キメラ--満洲国の肖像』(中公新書、2004)
加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書、2007)
筒井清忠編『昭和史講義』(ちくま新書、2015)より
等松春夫「満州事変より国際連盟脱退へ」
--研究が進んできている。
渡部昇一『かくて昭和史は甦る』(PHP文庫、2015)
--「物語」としてはおもしろく、版を重ねているが、「必ずし
もそうとは言えない」という部分があるのではないかしらん。
はたして柳条湖事件によって「昭和史は甦る」か??
(ご参考)平成27年天皇陛下のご感想(新年に当たり)→こちら。
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東京五輪
○男子ゴルフ:松山プレーオフで銅メダルならず。
最終日のINで少なくとも二つほど惜しいパットをはずしていた。
これがいわゆる「プレッシャー」?
猛暑、コロナ感染の病み上がりの中、本当にお疲れ様!でした。
頑張った、頑張った。
優勝したシャウフェレとは奇しくもマスターズで同じ組だった。
シャウフェレの祖父母は日本在住。
14:11
14:38 松山 13番パーパットをはずす。
15番も1mのパーパットをはずし、痛恨のボギー。
15:46 17番ホール バーディーを狙うもはずれる。
16:05 この後、7人のプレーオフ(3位決定戦)へ
私も60年近く見ているが、「7人のプレーオフ」は初めてだ。
プレーオフ1ホール目、松山ボギーでNHKのPO中継が終わる。
ゴルフファンの怒り心頭?(笑)。
結局、1位シャウフェレ(-18/米)、2位サバティーニ(-17/伊)、
3位潘政琮(-15/台湾)。
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一人でも外交手段で解決しようという意見が出たのが救われます。
子供の頃耳にした「満州事変」の言葉の言い回しに何かあるのかなと直感的に感じていたのは、すでにことの本質が分かっていたのでしょうね。
満州事変は、「統帥権」という天皇大権を悪用した、しかも出先軍人の独走ですね~。
しかも、援軍として、林銑十郎司令官の朝鮮軍が、これまた「独断で」国境を越えて出動しました。
臼井勝美『満州事変』によれば、9/18の柳条湖事件を計画したのは、板垣、石原両参謀、花谷少佐、三谷憲兵分隊長、今田大尉の5人(9/15夜)。9/16、川島中隊長と相談。
9/18、満鉄を爆破した実行者は、川島中隊長から計画を打ち明けられたと考えられる河本中尉、小杉軍曹、今田大尉。
結局、10人足らずの人間しか「関東軍の謀略」は知らず(関東軍を疑っていた人がいたにしても。)、その他は、戦時中は、「中国軍の仕業」と思っていたということでしょうか。
9/19、石原参謀起案により、本庄関東軍司令官(新任だった。)から林朝鮮軍司令官に増援依頼の電報が発電されています。
一方、9/19の閣議では、幣原外相が「今回の事件は、外務省側の得た情報では、軍部が何等かの計画をしたのではないか」と発言したため、南陸相は朝鮮軍の増援を提案できなかった。ここで閣議は「不拡大方針」となります。
しかし、9/20、杉山陸軍次官、二宮参謀次長、荒木教育総監部本部長の首脳会議で強硬方針を確認。
9/22の閣議では朝鮮軍の独断出動について、「閣僚の全員不賛成を唱えるものはないが、進んで賛成を表示する者もなし」という状況で、出動した「事実」を認め、経費を支出することを承認、となっています。
ちなみに、朝日新聞は、満州事変では、それまでと打って変わって(君子豹変?)、陸軍にエールを送りしました。