[2/24(月)投稿文をあらためて書き起こしました。少々、手直ししてあります]。
2月17日(月)
フレッシュアップ特別休暇も終わり、久しぶりの出勤。会社は?・・・・・・
とくに変わっていなかった(笑)。
ベローチェ前 本郷通り
駿河台道灌道
池田坂
ところどころに雪が残る神田駿河台3丁目
2月18日(火)
2月19日(水)
半年に一度の定期券の更新。更新月はニッパチである。
新年度の会社手帳が配布された(有償)。
2月20日(木)
ソチ・オリンピック、浅田真央ちゃんのSPに合わせ、早朝、4時15分起床。
直前のロシアの選手に大歓声。いよいよ真央ちゃん。
私は、何が起ころうとも泰然自若、驚かないと「決意」してテレビ画面に注
目したが、始まってから30秒くらい経っただろうか、最初のトリプルアクセ
ルにアナウンサーの「あ~、転倒」という声が早いか同時に真央ちゃんが
転倒してしまった。私も、まだ夜明け前というに、最初の「決意」もあらばこ
そ、思わず「あ~~」と大声を出してしまった。
『昭和史裁判』を読みながら、スローリーディングで思索にふける。気付
いたことをノートに筆記。
本書には、最近の学界の研究成果が多く引用されている。
昭和20年の終戦時、『昭和史裁判』の登場人物が何歳か調べてみた。
広田弘毅(明治11年生) 67歳
近衛文麿(明治24年生) 54歳
松岡洋右(明治13年生) 65歳
木戸幸一(明治22年生) 56歳
昭和天皇(明治34年生) 44歳
ちなみに小泉信三(慶應義塾塾長、明治21年生)57歳。
私は、今年64歳になる。(昭和も遠くなりにけり?)
昭和史は、昭和史だけで整理できるものではない。「世界史の流れ」での
位置づけが大切である、といえるのではないかしらん。
1840 (中国)アヘン戦争
1853 ペリー浦賀来航
1868 明治維新
1884 (中国)清仏戦争
1889 大日本帝国憲法
1894 日清戦争
1897 アメリカ、ハワイ併合
1898 米西戦争→フィリピン等領有
1902 日英同盟
1904 日露戦争
1910 韓国併合
1911 (中国)辛亥革命(孫文)
1914 第一次世界大戦
1915 対華21カ条の要求→袁世凱大総統
1917 (ロシア)ロシア革命
1918 シベリア出兵
1918 (中国)軍閥戦争(南北戦争~1928)
1919 ヴェルサイユ条約、(朝鮮)三・一事件、(中国)五・四運動(排日)
1920 国際連盟成立(日本は常任理事国に)
1921 ワシントン軍縮会議/四カ国条約(太平洋問題)
1922 九カ国条約(中国問題)/ソ連成立
1926 (中国)蒋介石、北伐(~1928)
1928 (中国)張作霖爆死事件/国民政府首席蒋介石
1928 パリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)
1929 世界恐慌
1930 ロンドン軍縮会議
1931 満州事変
1932 満州国建国
1933 (独)ヒトラー首相、(米)ルーズベルト大統領
日本、国際連盟を脱退
1936 西安事件
1937 盧溝橋事件(日中戦争始まる)/第二次国共合作
1938 近衛声明「国民政府を対手とせず」
1941 真珠湾攻撃(太平洋戦争始まる)
1945 ポツダム宣言
大きな流れでいうと
列強帝国主義時代(アジアの植民地化)→第一次世界大戦→民族自決、
国際協調時代→中国に対する英米仏独/ソ連/日本の権益争い/
(日本)軍部の時代
ということになるのかしらん。--あくまで、「個人的仮説」ではあるが。
ただし、これは、日本国として、ポツダム宣言受諾、敗戦、被占領、東京
裁判、サンフランシスコ講和条約という、その都度の整理(受入れ)と同じ
レベルの話ではないだろう。
いいかえれば、歴史には多面的な見方があってもいいと考えるが、日本
国としての整理(条約締結)は大切にしていかなければならない、ダロウ。
<対華21カ条の要求>
私が学生時代、NHK討論で高坂正尭先生が「対華21カ条の要求は当時
としてはたいした内容ではなかったですね~」と関西弁のイントネーション
でいっておられたが、あれから中国が「反英」から「反日」になったのは間
違いないだろう。
孫文も日本に亡命、初めは日本を頼みにしていた。
余談だが、私の父方の祖父は、若い頃、孫文グループを応援し、中国を
駆け回っていたようだ。大亜細亜主義者だったのかしらん。
スープストックお茶の水店
文京シビックにおける。OB合唱団の定例練習。
オムニバス・コンサートの「花」と「わがふるき日のうた」のNo.7、4、1、
2の順におさらい。私は、現役時代に比べると本当に声が出ない。
次の日曜日(23日)は大阪での「コーラス花の早慶戦」に有志遠征で
ある。残念ながら、私は不参加。
2月21日(金)
この日は通常どおり5時に起床。ニュースを一切見ないようにして、真央
ちゃんのフリー演技、録画を視る。10番目村上佳菜子がトップに躍り出
た。12番目真央ちゃんの登場に会場から「真央ちゃん、頑張って~」と精
一杯の声援が送られる。会場にいたら会話もできない騒ぎだろう。
真央ちゃんが静止して大きく深呼吸、ラフマニノフが始まった。最初のトリ
プルアクセルは?と画面に注目。やった~!、成功。まだ心配が続くが、
次々と回転ジャンプを成功させる真央ちゃんに涙が止まらなくなった。
最後にポーズを決めると真央ちゃんのうれし泣きに、こちらももらい泣き。
すぐ、いつもの笑顔に戻った真央ちゃんに会場は大歓声となった。
2月22日(土)
「サワコの朝」で久しぶりにシノラーを視た。文化服装学院を卒業し、デザ
イナーになったんですね~。
家内の実家とわが家の確定申告書を仕上げる。1時間ほどで完成した。
その後、耳鼻科に花粉症薬4週間分の処方箋をもらいに行く。その足で
「靴専科」に立ち寄る。靴の修理は上出来だ。
「6位『この4年間のすべて出せた』」
韓国ではキム・ヨナの判定に大ブーイングが起きているらしい。
いい悪いというではなく、どちらかといえばそういう文化なのかもしれない。
声楽の国際コンクールの審査員をおやりになった先生の話によれば、日
本人は大人しいが、韓国人は「なぜ私が入賞ではないのか」と食い下が
ってくるそうだ。たくましいですね~。
日本人も少しはそんなタクマシサがあってもいいかな?
多くの雪が残る北側
あざみ野耳鼻科
書店カボスはいつものコース
カリタス短大近く、桜通りの桜はごくツボミ。
靴専科
いっこうに解けない雪
確定申告書を医療費領収証などとともに郵送する。切手は大目に。
2月23日(日)
家内に付き合って、久しぶりに新横浜へ。外出すると必ず本屋に立ち寄
る。新横浜には三省堂がある。8階、床面積が大きい。『世界史年表』を
購入。
梅が満開
モクレン
ウィーン・フィル・イン・ジャパン2013
ベートーヴェン交響曲第8番、第9番「合唱付き」を視聴(録画)。
C.ティーレマン指揮
ソプラノ;エリン・ウォール
メゾ・ソプラノ;藤村実穂子
テノール;ミヒャエル・ケーニヒ
バリトン;ロベルト・ホル
合唱;ウィーン楽友協会合唱団
ウィーン・フィルは、やはりすごい。
藤村さんのようにキッチリした強いメゾを第九で聴くのは楽しい。
ちなみにウィーン楽友協会合唱団は、究極のアマチュアである。
(第九はキュウキョク目)。
[本稿は書き掛けです]
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「小さいおうち」、もう一度観たいです。
太平洋戦争の遠因は中国問題(日中戦争)、近因は南部仏印進駐~対日石油禁輸でしょうか??
エネルギー問題は、古くて新しいですね~。ウクライナもロシアから天然ガスの供給を受けており、どうなるか心配ですね~。