立花隆の著作から『中核VS革マル』を読む。
本書が単行本として出版されたのは昭和50(1975)年だ。
新左翼過激派(警察用語的には極左暴力集団だ。暴力はいけませ
ん。)の中核派も革マル派も、元をたどれば昭和32(1957)年に
組織された「革共同」(革命的共産主義者同盟)だ。
そもそも昭和30(1955)年、日本共産党(→こちら)が五全協で
決定した武力闘争路線を「革命情勢は時期尚早」としたうえで、
それまでの路線を極左冒険主義とした六全協の決定が武装闘争の
担い手だっだ党員学生に深刻な動揺をもたらした(Wikipedeaご
参照→こちら)。
それが「新左翼」の始まりだ。--このあたりは警察が詳しい?
昭和38(1963)年、革共同の分裂によって、中核派と革マル派が
誕生する。
本書は、いまから46年前に書かれた、中核派と革マル派の「内ゲ
バ」(昭和45[1970]年~)ドキュメントである。
(注)学生時代、知人(社青同?)が「本当に内ゲバは怖~い」と言っていた。
当時は、中核や革マルで、5万人以上いたのかしらん。現在は、い
ずこも同じ高齢化で、数千人ずつと推計されているようだ。
新左翼の思想(旧左翼も同様?)は、常に「敵か味方か(×か○
か)」だ。
どちらが「正しい」のか私は知らないが、「近親憎悪」という言
葉がある。
中核派と革マル派は近親憎悪から内ゲバが生まれるということな
のかしらん。
以前読んだ、飯干晃一の『仁義なき戦い』(広島抗争)をちょっ
と思い出した。
あまり一般的な本ではないし、ブログのテーマにもふさわしくな
いかもしれない(笑)。
立花隆『中核VS革マル』(講談社文庫)
ということで、5年前の7月になくなった中村紘子さん(1944-
2016)最後のエッセー集『ピアニストだって冒険する』(新潮文
庫)を読む。
あいかわらず、いささかのユーモアを含む文章とその構成がお上
手だ。--ご主人にも目を通してもらっていた?
本書は『音楽の友』と『新潮45』の連載をまとめたものだ。
内容的には結構硬派の部分があり、それこそおもしろい。
本書p239には「プライドと国家の品格」と題して、朝日新聞によ
る記事捏造問題に触れている(以下一部抜粋)。
さまざまなメディアの解説によれば、朝日新聞の記者たちのプライドの高さ
が傲慢さ、驕りに結びついて、この「慰安婦問題」をこれだけのっぴきなら
ぬ深刻な国際問題にまでこじらせてしまった、という。
そんな報道に目を通しながら私はふと、ささやかながら忘れ難い私自身の
「朝日の記者体験」を思い出していた。
或る時、人権問題を考えるNGO「アムネスティ・ジャパン」に依頼されて、
チャリティ・コンサートをすることになった。「人権問題」サポートという、
朝日好みの催しのせいか、早速朝日新聞「人」欄からインタヴュウの申し込
みが入った。
私を訪ねてきたのは編集委員の肩書をもつ男性で、インタビュウそのものは
ごく普通の、特に記憶に残るような内容ではなかった。ところが終わりの頃
になって、この編集委員氏、突然人が変わったようにため口で奇声を発した
のである。
「あんた、中卒だろ?それなのになんで、そんなに色んな事知ってるんだ?」
私は一瞬呆気(あっけ)にとられ、この単細胞な編集委員氏にどう応えたも
のかと、口ごもってしまったものである(彼はきっと天下の東大卒だったに
違いない)。
恐らく作り話ではないだろう。
むろん中村紘子さんのご主人は「天下の東大卒」、それも法学部
卒業である。
中村紘子さんの著書 右端が「最後のエッセー集」新潮文庫版
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