、11/30 朝、部屋から庭が見えます。
庭に出ます。誰もいません。静かな古都の朝。
チェックアウトしていざ出発。
東山七条角、養源院へ行きます。
七条通りを京都駅方面へ。
フレンチルネッサンス様式の京都国立博物館の向こうに愛宕山が見えています。
清滝が登山口。いつか登りたいものであります。
この付近は西に向かって結構傾斜がきつい坂道になっています。
外資系高級ホテルの前を通って…
以前は京都パークホテルという庶民御用達のホテルでした。
2002年3月、息子の入学手続きで宿泊した時には確か素泊まりでシングル3,500円といううれしいお値段。
朝は近くの喫茶店入ったら、老店主夫妻がとても親切にしてくれました。京都の人は親切。冷たいというのは言いがかりかも。
でも知ったかぶりすると「田舎者」とはねつけられそうな予感。まあ、これはどこの土地へ行っても同じでしょうが。
このあと養源院の入り口がわからず、散歩中の女性に聞きます。丁寧に教えてくれました。
こちらの向かい側でした。
行きます。9時ちょうどくらい。静か。
紅葉のトンネル、古都の秋。
帰ります。
淀君創建、のちに徳川の菩提寺だったそうです。
http://kyoto-higashiyama.jp/shrinestemples/yogenin/
建物内、撮影禁止。俵屋宗達の襖絵に杉戸絵、伏見城遺構の血天井、小堀遠州の庭など、見どころたくさん。
でも人はほとんどいません。住職ご一家で案内などしています。
秀吉さん、浅井長政さん、淀君さんと、歴史上の人物も知り合いみたいに言うのが面白かったです。
血天井は人型に血の跡も残っていて、非業の死を遂げた大勢の人の怨念が漂っているようで、なんかぞくっとしました。
天井を作るにあたり供養してるそうなので、今はもう成仏していると思いますが、戦国というのは死がありふれた時代。命のやり取りをする武士の生き方というのも、なかなか凄まじいものがあります。合掌。
外へ出ます。蓮華王院(三十三間堂)の南大門から塩小路→東大路へと向かいます。
南下して東海道線、奈良線の上を通ります。向こう京都駅方面。
道の両側が今熊野商店街。和菓子、布団、おもちゃなど、地元密着の昔からの商店街。
歩いて楽しいです。
向こうに見えるのが新(いま)熊野神社。熊野詣大好きの後白河法皇が都に勧進。
世阿弥が初めて能を奉納したのがこちらの神社。
クスノキは創建当時のもの?…樹齢850年くらい?
以前から行きたかった鳥戸野陵へ向かいます。
こちらはさだまさしさんの鳥辺野という歌の場所とのこと。寂しいからとそれだけで、来るはずもない鳥辺野であります。
スーパー、フレスコと花屋の間の道を山に向けて登ります。
剣神社の前を通って
山へと向かいます。ここでは右側の谷へ降りていきます。
山道をゆけば散り急ぐように遠近に紅葉の紅道を照らす冬まだき。
風景自身が淋しがってるからひとこまに身を置いただけで自分が救われる…
今から定子陵へ行きます。この付近はよく整備されています。
古代の鳥辺野の地名はこの付近から北に広がっていたそうで、南部は身分の高い人の墓、北部は庶民の埋葬地だったとのこと。現在、広い墓地は清水寺南西部にあるそうで、このあたりには泉涌寺の墓所以外には墓地は見かけませんでした。
職員らいい人が掃除していました。「(おばあちゃんだから)滑らないように気を付けてくださいね」とのことでした。
あの先で右へ。
着きました。共同墓地のようです。掃除が行き届いていたのはさすがです。
定子は清少納言が仕えた皇后。天皇とは仲良かったけど、若死にします。
中宮彰子はその時にはもう入内していたはず。この人の生んだ皇子は何人も天皇になり、藤原道長の繁栄を支えます。しかも90歳くらいまで生きた長寿の人でした。
定子が若死にしなければ、彰子の方が若死にだったら、あるいは道長の運命も変わっていたかも。
清少納言は晩年、泉涌寺付近で過ごしたそうですが、定子の墓所の近くにいることで、華やかな若いころを追憶していたのかも。
光が明るい分、影は深い。そしてそれは人の世の常でもあります。
木立の間から京都駅方面が見えます。
切通しの道を南へと向かいます。
人の心移ろいやすく、その傷癒え難く、立ち止まってうろたえるは愛と同じ重さの悲しみ…
私は一人で気ままに京都をうろうろして全然悲しくないのですが、日常生活を離れると普段忘れているいろなことを思い出します。
京都を一緒に歩いたあの人、この人。あの笑顔にあの言葉。もう会わなくなったけど、会えなくなったけど、お元気でしょうか。
いえいえ、同居人とは毎日会っています。昔一緒に行ったのは詩仙堂くらいだけど。
風はさや 風はさやさや、竹はゆら竹はゆらゆら、振り返るより早くあなたは立ち去っていた…
すみません、どこのどなたかは存じませんが、ブログの流れの都合上、後姿お借りしました。
泉涌寺への抜け道は、地元の人の散歩道になっているらしい。
赤い橋は今熊野観音寺の入り口。
下から見ると新しい橋。散歩の男性が前を行きます。
橋を渡ります。朝日の木漏れ日が気持ちいいです。
今来た道を見下ろす。
山門は特になく、境内出入り自由。
真言宗の寺院。空海像も。
お手洗いお借りしたのでお礼のお賽銭を納めます。拝観終わって車道ではなく、わき道を通ります。泉涌寺の塔頭いろいろ。
総門と言えば遊郭みたいだけど、全体の門をどういえばいいのかしら。山門でいいのかな。
広いお寺であります。泉涌寺はまだ一度も行ったことありません。また次の機会に。
このあと京都市美術館の若冲に行きます。人がたくさんいました。