涼しくなったので引っ越します。こちらでまた頑張ります。一年弱の間、お世話になりました。
某サイトから拝借した某大学の正門前。10年以上前のちょうど今の時期、朝この前を通ったら、日帰り旅行に行く学生さんたちが集まっていてとても賑やかだった。
その頃は京都の近代建築が私の中でブーム、この大学の中にもいろいろと珍しい建物があります。建物は無くなっても門はよく残るらしく、農学部のように門が文化財になったのもあります。
明治時代の新聞記事から、作家の心に引っかかったものが、ごく短く引用される。解説はなくて、寸評だけ。それだけのものだけど、選び方にはおのずと作家の関心のありどころが分かるし、急速な近代化の中で人々が右往左往する様子や、今も昔も変わらない人のありようなど、まるでその時代にいて新聞読んでるような臨場感。
人は今より善良で、喜怒哀楽も素直に表し、だけど、自殺したり、人を殺したり平気でする。外国から入ってくる珍しいものには耳目をそばだて、ありもしない流言飛語に惑わされて右往左往。
明治の45年間くらい、日本の国がdrasticに変わった時代もなかったことだろう。
著者が子供の頃は、明治はまだ身近だったそうだけど、私にしてもそう。祖父母は明治生まれ。祖父は傘に蓑もってたし(レインコートより涼しそう)、「お菓子」と言うべきところを「おっくわし」(わは拗音なので正確にはkwaと発音。パソコンではもう表記できない)と言ってたし、あとなんだろ、村にできた小学校のごく早い時期の卒業生。当然卒業写真は和服。
いえいえ、私のことなどどうでもよろしい。
この中では面白いことがいろいろあるけど、
銭湯で犬を洗うのが禁止になったとか、
伊豆の老女が海岸で札束を拾い、新政府発行の紙幣と分からず、御札と思って一枚だけ神棚に供えてあとはまた海へ戻したとか、
料理屋の代金、不足の場合も客の衣服を剥ぐのはやめるとか、
新潟の村でそれまで誰もしなかった神前結婚式が奇妙なことと話題になるとか、
岩崎弥太郎の葬式には料理と酒、6万人分を用意したとか(ほんとかしら?)
今の時代の常識を揺さぶり、硬直した頭の中身を柔らかくしてくれる話題がてんこ盛り。
人間は自分の知っていることが、普通と思い、昔からの伝統と錯覚しがち。でもそうでないんだと、心が自由になった。
午前中用事で外出、初めチャリンコで行くつもりだったけど、暑いので結局車で。
で午後からは偶然にも、車で、東京~九州の1,500キロを走る映画を見た。何しろ50年前の映画、ストーリーよりも、俳優の演技よりも、道中の景色、暮らしが今となっては貴重だと思った。
京都市内、大阪駅前などがあまりにレトロで、途中からカメラを取り出してテレビ画面を写した。
ジャガーのオープンカーを運転する浅丘ルリ子。国道フェリーはたぶんできたばかりと思う。それまでは国鉄連絡船だけ。フェリーってオシャレだったんです。
夏は納涼目的で、家族で乗った記憶があります。
鄙びた感じの岸壁。屋根なし、エアコンなしの車の運転は過酷だと今なら言えるけど、当時はものすごくかっこよかったのでは。
宇野で石原裕次郎を待つルリ子さん。裕次郎は維新の会共同代表、慎太郎氏の弟ね。スターでした。
ナビなんてないので、地図一枚の真剣ドライブ。明石から鳴門へ渡った裕次郎が高松から宇野へと戻ると予測して、宇野の港で待つことにするルリ子さん。
そう、当時は本四連絡橋は一つももない時代。船で行くしかない。車で遠くに行くこと自体、ものすごくかっこいいこと。
国道だって未舗装。中央車線もなし。当時は車も少なかった。大学の自動車部、国道二号線で日曜日にラリーしていた。60年代末のお話です。
1955年頃、四国から東京まで自転車旅行した叔父(当時は大学生)の話では、国道一号線も街中だけは舗装、殆どは未舗装の悪路だったとのこと。
トラックの幌も最近は全然見ませんね。
尾道水道。海沿いに木造の家が一列に並ぶ。今はウォーターフロントとして再開発済み。
広島県賀茂郡河内付近。今は三原市になったのかな?ジープを追いかけるジャガー。
広島へ着きました。T字型の相生橋、縦の部分を北上。後ろ平和公園。原爆ドームは第一回の修復のまだ前。
相生橋の上を行く広島電鉄の路面電車。
向こうに見えるのは宮島?この付近は以前は企業の保養所が多かった。
未舗装で土埃が舞い上がる。しかしまあ、高速道路もない時代に九州まで行くなんて、過酷。電柱は木。たぶんコールタール塗装。
博多では、二人は車ごと山笠に巻き込まれる・・・初めから避ければいいようにも思うけど、映像的には面白い。
京都と大阪の映像を撮り逃がしたのが返す返すも残念。
本日の必殺手抜き昼食。インスタントラーメン利用の中華冷麺。
ランチョンマットは織りの先生にいただいた。タレ入れは自分で絵付け。まだまだ夏野菜。
所用で出かけました。途中、フリマに立ち寄る。
メタセコイヤ
ミスト。涼しい~。
元の第一食堂付近。
ひろしま美術館横。
久しぶりに外でお昼を食べる。
きょうの最高気温は31.1℃。冷たいコーヒーがおいしかった。
昨夜9時過ぎ、息子が探し物をしにやってきた。娘だけ同行。
孫娘三歳は「お腹すいた~」と、残りご飯にふりかけで三杯もお替わり。パイナップルとチーズも食べる。晩御飯はあまり食べてなかったのかも。
そこへ夫が帰ってきて、何気に孫娘がご飯食べてるのでびっくりしていた。同じ市内、車で10分くらいのところに子供のいる幸せ。しみじみ。
その孫娘、「あーちゃん、お手伝いしてる。けい君のオシメや服をお母さんに渡す」と晴れがましい態度。
「そう、偉いねぇ。お母さん大変だからいっぱいお手伝いしてあげてね」
「うん」
おお、可愛い。下の子がいるととても大きくしっかりして見えるけど、まだまだ甘えたい年頃。こんなお祖母ちゃんでよければいくらでも甘えてね。
自分の子供の時には実家が遠いこともあって、 とにかく今日一日がおわれば・・・という毎日。たまに来る実母は私のやり方にいちいち口出しするので、めんどくさかった。私は人を指図するのは大好きだけど、人に指図されるのはたとえ親でも大嫌い。はい、この性格は墓場まで持って行くつもりでございます。
指図って昔は設計図を言っていたらしい。昨日、BSの「下天の城」でそう言っていた。
きょうは昼間出かけていたらとても暑く、午後はワンピース一枚でうたた寝していたら風邪気味、体調が悪くなった。
少しずつ歳とってるんですねぇ。しみじみ。
東京でオリンピック・・・安部さん、湾内の狭い範囲に汚染の影響はとどまっていると言ってたけど、そんな話、初めて聞いたぞ。完全なコントロールのもとにあるなんて・・・何を持ってそう言えるのか私には分からない。融け落ちた核燃料、コントロールできてないのと違うの?水をかけ続けるだけで、誰もその先のことが考えられないのと違うの?
オリンピックには恨みも何もないけれど、東京と地方、お金持ちとそうでない人の格差がいっそう広がる気がする。4,000億も準備金があるなんて、福祉に回してほしいと思うのは私だけ?
こんなこと言うと非国民扱いされないかと心配。
場所は広島銀行本店と紙屋町ひろでんビル・・・というのでしたっけ、モンベルの入っているビルとの間の細い路地を東へ。
着きました。中国飯店の経営者交替でできた店です。
前に中国飯店へ行ったのは30年前、長男6歳、次男5歳、三男3か月、私は産後で合う服がなく、買いに行く暇もなく、大島の着物(赤とピンクの柄。母の好み。トホホ)に白い紬の帯。二階の個室座敷で、三男はそこらへんにコロンと転がしていた。何食べたんだったかな、忘れた。
いつかまた行こうと思いつつ、三十年も経ってしまった。店は居抜きで買い取ったらしく、古き良き中華の店。以前と同じように二階の座敷へ。元気なお姉さんが料理運んでくる。
ん?中国人?
「中華料理、中国人いて当たり前」
開店一周年フェアだとかで、なんでも激安。大盛り。
「安いよ。でも悪いもんじゃないよ」
その大盛り。
サラダ
八宝菜
こちら牛レバーの何とか。向こう回鍋肉。
春巻き一人前。開店フェアーなので150円。9月末まで。
いくら羽根が流行とは言え、いやはや。
でかい餃子。
そろそろ白いご飯が欲しいけど、ありません。チャーハンを頼む。
生ビールも390円と激安。しかも冷えていた。先月某所の氷温ビールはぬるかった。。。。。
いやあ、30年ぶりのレトロな中華は、体力がついて行けず、ここでgive up。塩辛くて油濃くて、中高年には過酷な外食となりました。この店、お昼に軽くおそばなんかはいいかもしれない。
都会の隙間のレトロ空間。分厚いカーペットをめくったらきれいな畳だったので安心した。畳は替えたものと思われます。
先日、三男から誕生祝い届く。果物詰め合わせ。カードは手作りらしい。祝の字が二つも入っている。ありがとね。
きょうは、腕輪を作ります。模造真珠の穴に上手にワイヤーを入れています。
浴衣は三男の赤ちゃん時代の一つ身。揚げを下ろしてピッタリです。
出来ました。きれいでしょ。
金魚さんの袋に入れて、今から帰ります。
何かと忙しい。午前中、雨の中、車で提出物。ネットだと回線使用料が毎月要るので、節約中。
帰宅後、歩いて近くのSCまで。紐その他を買う。
午後から爆睡。今朝3時まで起きていたので。
夕方から巾着作る。夜は例によって手抜き夕食。
汁物省略。夫は冷酒、私はお茶で済ます。手抜き、手抜きと自慢するのもどうかと思うけど。
さていささか食傷気味の巾着のことですが、今お譲りできる金魚巾着は下の7つです。
クリックしてください。大きくなります。
裏です。こちらもクリック。
布は全て正絹です。黒は昔の留袖、赤は産着だった赤い縮緬、その他絞り、羽二重などです。裏布を付けて二重になっています。紐を除いてポリエステルなどは使っていません。ミシンではなく、すべて手縫いです。
このブログ、及び私のホームページの掲示板にコメントくださったことのある方はA~Hからのうち第一希望、第二希望と、住所、氏名、電話番号をコメント欄にお願いします。折り返し、一つをメール便で送ります。送料、代金は不要、プレゼントさせていただきます。また申し込みのコメントは、非公開です。
Dが抜けてる!!
素人の下手な作品ですので、不具合はなにとぞお許しください。ほつれたら直してください。形はいびつ、針目も不揃いですが、平にご容赦を。
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いずれの場合も9/5午後10時で申し込みを締めきり、発送は来週以降になります。
昨日は名古屋がすごい雨、お嫁さんにメールしたら、「まだ(息子は)帰ってません。車高が低いので心配」との返事が。あらあ、まだヤンチャな車に乗ってるのね。車は人柄を顕す。あんた、いい大人になって、もう車で笑いを取らんでもええじゃろ?
午後10時ころ、帰宅した息子から電話がかかる。
「お誕生日おめでとう」と言われて、嬉しかった。
「ありがとう。年金の手続きが邪魔くさい」
「さすが高額所得者。年金なんか当てにしとらんと」
「そうじゃなくて雀の涙だからね」
その息子。
2008年、長野県小諸の高峰高原で。「軽井沢へ旅行するのでセレブ」だそうです。はあ~わけわからんーーーー!!!!
いつまで生きるか分からないので、お金がいくらいるのかもわからない。同居人も今は元気だけど、いつまで仕事するかも不確定。先のこと考えたら暗くなるので、健康に気を付けて無駄遣いもせずに、しばらくはこのままでいこう。
急に涼しくなりました。皆様も体調にお気を付け下さい。
軽井沢町追分の堀辰雄記念館。左手は別荘。右手は堀夫人の住居だったのを記念館にしたのだったかな?
この記念館で印象的だったのは敷地が南に向いて下がり、日当たりがいいこと。この写真も庭先で振り向くと建物がだいぶ高いところにあるのが分かる。
この付近は浅間山の広い裾野の一部になっていて、かなり勾配がある。水はけよさそう。
火山のふもと・・・いいなあ。火山と縁がなく今まで来たので憧れる。
写真は2006年10月半ば、追分はもう寒くて油屋のご主人が部屋にストーブを入れてくれました。油屋さんは一時売りに出てたそうですが、今は催し物の会場として、まだ素泊まりの宿として、地区の方たちが運営されているそうです。
夜、何か寒いと思ったら玄関で23.1度しかなかった。素肌に浴衣地のワンピース一枚では寒いはず。慌てて服を着込む。
きょう、手洗いのあと水を流そうしたら便器に一筋、真っ赤な血液が落ちていた。
ギョギョギョッーーーーーーー!! 出血。まさか。出血って・・・どこから?
尾籠な話で申し訳ありませんが、下半身の穴、男は二つ、女は三つ。真ん中はもう用済み。
としたら、消化管?
もしかしたら膀胱から?
どっちにしても洒落にならん。実父も最初の出血で病気に気が付いた。原因は尿管の周りの癌。薬石効なく、一年後には亡くなった。14年前だった。
がん?とんでもない。まだまだ死にたくない!!、、私は人間が全然できてないので、思いは千々に乱れまくり、・・・・
すみません、嘘です。
慌て者の私もすぐに気が付きました。最近縮緬の布で巾着袋作っているので、その切れ端が服のどこかについていて、トイレに落ちたものと思われます。
血液の正体は、赤い縮緬の切れ端。拾い上げずにそのまま水に流す。以上、本日の小ネタ。
瀬戸内寂聴の自伝的小説の映画化。確か大昔に読んだ記憶があるので本棚を探したけど、なかった。
ある時、本をだいぶ減らして、その時処分したらしい。読んだことを憶えているのはまだいい。中にはもう読んだことさえ忘れているのもあるはず。
いえいえ、家の中も頭の中も、ものを減らしてすっきり整理。寂聴師は出家なされてからの方が自由になって、一層元気になったようにお見受けする。これからも活躍していただきたいと思う。
小説で成功したのが、映像で必ずしも成功するとは限らない。売れない作家と若い染色作家、週の半分ずつ本宅と愛人宅を行き来する。そこに昔付き合っていた若い男が現れ、四角関係の危ういバランスの中で、動きのつかない男と女。
字で読むべき話だと思った。映像が却って邪魔をしているように思うのは、原作を知っているからか。映像も暗くて地味。
午後からはまたまた手芸をする。
牡丹、菊、橘、を薬玉仕立てに。
鞘型の地紋の上に松、菊、牡丹、桜、笹。しかし下手ですねぇ。なんで左右対象に縫えん?
赤シリーズ。しかしまあ、どれ一つとしてきれいに縫えたのがないという不器用さ。
黒は嫁入り先が決まったのなどもあり、もうこれだけになりました。
ああ、あの時留袖をほどいてバザーに出さなければよかったと激しく後悔。ネットで見ても古い留袖、柄がいいのはけっこう高い。
赤はまだまだたくさん作れるけど、黒はもうおしまい。悲しい。
赤シリーズの裏
黒シリーズの裏。ピンボケ。
夫にどれが欲しいと聞くとどれも欲しくないとのこと。昨夜来た次男に聞くも同じ答え。もう、おまいら、あとで欲しくなっても知らんけんね。
きょうは一日雨でした。室温も26度くらいで、エアコンも扇風機もなし。ついでに蚊も出なくなった。
出かける予定だったけど、雨が降り出したので予定変更。
きょうもひとつ作りました。全部手縫いなので時間がかかります。
裏です。
昨日のと同じ布で。紐は白くない方がいいかな。
こんな下手な作品、ご希望の方がいらっしゃるなんて嬉しい限りです。もう少し数を増やしてから、詳細を考えますのでしばらくお待ちくださいね。
先日、駅前福屋の平和のパッチワークキルト展に行った。無料の招待券があったので。会場、たくさんの人だった。手芸用の和の布、パッチワーク用に少しずつでもものすごく高い。20年くらい前は、着物のリサイクルに古い縮緬の着物など出ていて、今から考えたら安かった。
骨董市で、古い箪笥を売る業者さんが、「中の古い着物は全部捨てていたけど、あれも売ればよかった」などと鷹揚なことを言っていた。古い縮緬、今はとても高価。
じゃ、今同じ物作ればいいと思うんだけど、柄のおおらかさ、素直さが今の時代には出せないのかもしれない。
この羽織はプリント柄なので線もまっすぐ、これが本当の手描きならもっと良かったんだけど、いただきものなのでぜいたくは言えません。
昨夜は、ネットでアンティークの着物の柄を見るうち夜更かししてしまい、今朝起きたら9時だった。_l ̄l○
夜、次男がきた。ご飯食べて、話して帰る。