最高気温31度だそうで。山は中止、近場の公園に変更。
横浜は横浜でも我が家からは車で20分ほど。呉へ行く途中の半島です。
何となく江田島っぽいけど、島も本土も見分け付かないほど重なって小舟たくさん、これが瀬戸内の眺め。
駐車場200円に車入れて歩いて上がる。この前来たのは1985年の春。29年前。三男よちよち歩き。今はさすがにしっかり歩ける。当たり前か。夫は全然記憶にないそうで。子供と関連付けたら忘れないんと違う?今なら**ちゃんが歩き始めた頃とか言って憶えるのもよさそう。
当時は木が少なくて陽当たりよかったけど、うっそうとした林になっておりました。
ベージュ色のケイトウ。懐かしや。
こちら定番。仏壇でなぜか映える花なんですよね。
ツユクサ
ハギ
キンモクセイたくさん。どれも10メートルくらいの木に。芳香が一面に漂う。
10分くらい歩くと展望台へ。広島方面の眺め良し。
南方向。貨物船、旅客船などなど。
大きいのはマツダの車両運搬船。
ヌルボ?
坂を下りていく。水平線が高い。まだまだ夏の海。
公園の南側海岸へまわる。ママコノシリヌグイ。トゲが下向きについているので、ミゾソバとの見分けは容易。
しかしながら、痛そうな名前)))))
イタドリ。よく見るときれいな花。荒れ地に生えるので、見向きもされないけど。
そう言えば「とっとり花街道」とか「尾北丘陵公園」でサルビアが100万本とか、コスモスが100万本とかのローカルニュースやっていた。人もたくさん出ている様子。・・・・それぞれ一回ずつ行ったけど、以後ご縁がない。
尾北・・・の方は旧農業試験場?だったころ行った記憶がある。何もなくて・・・というか元々あるべき草や木は豊富にあったので見て楽しめましたが、世間一般にはきれいな花がないと人を呼べないらしい。
この歳になりますと、道端の木一本、草一本にいろんな思いが呼びさまされて楽しめますのじゃ、と日本昔話みたいに。
だいぶ前、一部は自然のまま残し、草→ススキ→低木→高木→極相林へと変移するのを観察するコーナー作ったらどうですかとメールで投書したら「誠に貴重なご意見、ありがとうございました」と返事をいただいた。
しかしそういうのも野暮と言うもの。庄原が地盤のさる国会議員が公園を引っ張ってきて、季節ごとに全部植え替える花は近隣の農家に発注、植え替える人もたくさんいるし、地元の振興になっているのでした。
ただの山ではお金にならない。
話元に戻しますと、昔々のその昔、祖母に連れられて、行ったこともない遠い親戚へ行った。何か貸していたものを、木口の袋とかを貰いに行ったというような用事だったのかも。「まあ、この子が**ちゃん?大きんなってからに」とか言われたかもしれない。
庭に柿の木、夕暮れの空行くカラス・・・なんて思い出すうちに、それは自分で作りだした記憶かもしれないと思う。
初め現実から、最後は遠い昔の記憶があわあわと時間の彼方に消えていく。なるほど、歳とるってこういうことかと思いが至る。
ヌスビトハギ。抜いてきて庭で栽培しようとしたのは長男。バッタも庭で育てると、食草のオヒシバ、メヒシバを植えていた。
今庭に出没するのはその時の子孫、まさか。オンブバッタは雑食性、野菜から木の葉までよく食べる。
ススキの開花も里へ下りてきた。
シュウメイキクなども。
帰り道、本日の同行人に「あなたは絵が上手なので美大受けたらどうか、と先生に言われたらどうしよう?」というのと、「私の絵、欲しい人がいたらいくらで売ろうかしら。素人だから10万円でいいかなあ?」という話を吹っかけてみた。
もちろん冗談ですよう~そうでも思わんと楽しくないので。
同行人答えて曰く「朝から変なこと言わんでくれ。気分が悪い」ですと。だから冗談だってば。
素人は楽しく長く続けるのが、何よりも大切。その中にも精進の道はあるけれど、思い詰めて、「ああ下手だ」と絶望しないように楽しく、息長く、仲間と仲良く。
仲よくするため、人の絵は批判しない。自分の絵への論評は素直に聞く(振りをする)。納得したら取り入れるけど、納得しなければ、それを実行する能力がないふりをする。
家ではなるだけ描かない。描きすぎてモチベーション落ちないように。はまり込むと時間も足りなくなるから。時間かけたからといい絵になるとは限らない。高温で湿度の低い今頃は、絵具が早く乾いて水彩画を描くのにいい季節。
絵の上手な人はたくさんいるし、好きな人はもっとたくさん。楽しく、楽しく、なるだけ息長く。頑張れ、私。